梅雨明け

昨日、ついに関東地方の梅雨が明けたんだ。
いつもは7月20日頃だから、ずいぶん早いよね。
でも、実際は今年は梅雨らしい梅雨がなかったから、
春からいきなり夏に突入って感じ。
湘南地方は先週土曜日に海開きだったんで、
サーフィンは、これから8月末までは朝8時までと、夕方5時までしかできない
(七里ヶ浜と辻堂以西は別)
でも、おかげで早起きになった。
昨日は朝4時30分に起きて、
5時半過ぎには海に入ってた。
由比ヶ浜がまあまあ良かったんで。
葉山に近いっていうのもあったんだけどさ。
8時までやって、その後、葉山のうちに戻って、
シャワーを浴びた後、昼寝(朝寝?)
その後、海の家に遊びに行ってきた。
葉山は昨日海開きで、ボクのお気に入りの
OASISとBLUE MOONにちゃりでHOPPING。
いつもながらにいい雰囲気だったよ。
今度の週末は月曜日が「海の日」の
3連休なんで、たっぷり湘南の夏を満喫の予定。
ところで、今度、
SLACK KEY GUITERを始めてみようかと思ってるんだ。
ゆったりした雰囲気の時に、自分で音楽を楽しめたらいいな~と思って。
中学生の時にクラシックギターを通信教育でやってた時以来だから、
どうなるかわからないけど、報告するね。
SLACK KEY GUITERって、
こんな感じ。
このライブ会場は、かねよ食堂は観音崎のそばにあるんだ。
いい雰囲気でしょ。
本当は、KEISONっていうアーティストが大好きで、
こんな感じで歌えればいいなって。
自由に生きたいなって思ってやってきたんで、
今は幸せと思わなきゃて考えてる。
気にする上司はいないし、
自由に出来る時間もまあまああるからね。
でも、それが普通になっちゃうのは怖いよね。
何かは始めたいと思ってる。
だけど、今までと同じように「起業」じゃないだろうなって予感がしてる。
今はまったく想像もつかないような世界に身を置きたいと思ってるんだ。
だから海外住みたい病・・・
人と違う苦労をしたと思うし、
もうだめか・・・って思ったことも何度もあったけど、
悪い癖で「喉元過ぎれば熱さを忘れる」なんだよね。
経済力があるって言っていうのはどうかな~。
実はまとまった資産はないんだ。
入った分だけ使っちゃうから・・・。
お金を貯めるのはとても大事なことはわかってるんだけど、
何か無駄をしてる感じがしちゃうんだ。
有効に使ってないっていうか。
なんか、自分が、ひどくいい加減な人間に思えてきちゃた。
じゃ、またね。
雷の近づく空
いつもメールありがとう。
ほっと一息ついた時や、
静かな夜に、こうやってメールやりとりするのは、
ボクにとって、とても大事な時間なんだ。
明日からまた一週間が始まるんだけど、
夏の海がまぶたの裏に、ちらつくと、じっとしてられない感じだよね。
この週末の湘南は、もうすでに、夏真っ盛りだったからね。
東京になんかいられない!って言うのが本音だよ。
そう、先週木曜日の夕方鵠沼で海に出てたときの
話なんだ。
1時間半くらい波の上で遊んでたらね、
はるか箱根の方から雷が近づいてきたんだよ。

平塚、茅ヶ崎と、だんだん、こっちに迫ってきた感じだったし、
ほとんどのサーファーが陸に上がったので、
ボクも遅ればせながら渋々、海を出て、
ボードを抱えクルマに向かったんだ。
そしたら、ビーチとサーフビレッジ(公園)の境になっている
石段のところに、男のサーファーとその彼女が座って
じっと海の方を見てたんだよ。
だからボクも、ふっと、海の方を振り返ってみたんだ。
そしたら、なんと言ったらいいだろう。。。
夕方の雲の灰色、遠くの雷のヒカリ、そして、東の方の淡い青空
それが混ざって、海面が見たことのないような色をしてたんだ。
そう、輝いていた。
それは、神秘的すぎて、ボクはそこを離れることができなかった。
ボードを芝生の上に置いて、立ちすくんでしまった。
海の方をずっと見ていたんだよ。
遠くの西の空では、時たま、稲妻が空から陸に落ちていくのが
見えた。なんか別世界に来たみたいだった。
そう、あの場所は、防風林が途切れていて、
遠く箱根の山から、
東は江ノ島を越えて葉山の方の空まで
広く景色が見える場所なんだよ。
人が一番の幸福感を感じることができるのは、
自然と一体になった時だよ。
名声やお金、自慢や優越感、
それらは大事なものだよ。
ボクもある意味、求めていると言ってもいいと思う。
でも、それがすべてではないし、
こだわってはいけないものだと思う。
自然の前では、ちっぽけなものだよ。
サーフィンやってて、こんなステキな事もあるんだよ。
じゃあ、またね。
ほっと一息ついた時や、
静かな夜に、こうやってメールやりとりするのは、
ボクにとって、とても大事な時間なんだ。
明日からまた一週間が始まるんだけど、
夏の海がまぶたの裏に、ちらつくと、じっとしてられない感じだよね。
この週末の湘南は、もうすでに、夏真っ盛りだったからね。
東京になんかいられない!って言うのが本音だよ。
そう、先週木曜日の夕方鵠沼で海に出てたときの
話なんだ。
1時間半くらい波の上で遊んでたらね、
はるか箱根の方から雷が近づいてきたんだよ。

平塚、茅ヶ崎と、だんだん、こっちに迫ってきた感じだったし、
ほとんどのサーファーが陸に上がったので、
ボクも遅ればせながら渋々、海を出て、
ボードを抱えクルマに向かったんだ。
そしたら、ビーチとサーフビレッジ(公園)の境になっている
石段のところに、男のサーファーとその彼女が座って
じっと海の方を見てたんだよ。
だからボクも、ふっと、海の方を振り返ってみたんだ。
そしたら、なんと言ったらいいだろう。。。
夕方の雲の灰色、遠くの雷のヒカリ、そして、東の方の淡い青空
それが混ざって、海面が見たことのないような色をしてたんだ。
そう、輝いていた。
それは、神秘的すぎて、ボクはそこを離れることができなかった。
ボードを芝生の上に置いて、立ちすくんでしまった。
海の方をずっと見ていたんだよ。
遠くの西の空では、時たま、稲妻が空から陸に落ちていくのが
見えた。なんか別世界に来たみたいだった。
そう、あの場所は、防風林が途切れていて、
遠く箱根の山から、
東は江ノ島を越えて葉山の方の空まで
広く景色が見える場所なんだよ。
人が一番の幸福感を感じることができるのは、
自然と一体になった時だよ。
名声やお金、自慢や優越感、
それらは大事なものだよ。
ボクもある意味、求めていると言ってもいいと思う。
でも、それがすべてではないし、
こだわってはいけないものだと思う。
自然の前では、ちっぽけなものだよ。
サーフィンやってて、こんなステキな事もあるんだよ。
じゃあ、またね。
自由の意味
沢木耕太郎の「凍」を読んだことある?
さっき読み終えたんだけど、
読み始めてから読み終わるまで、ずっと心の中から離れない本だった。
山野井泰史と長尾妙子の二人の登山家による、
ヒマラヤの高峰「ギャチュンカン」からの生還記なんだ。

すごいの一言。壮絶な時間。
今まで、山岳登山、特にロッククライミングやる奴は
バカじゃないかって思ってたけど、
この本を読んで、少しは理解できるようになった。
ところで、
この本の解説で、池澤夏樹が言ってることが
心に残ったので、紹介したいんだ。
ちょっと長いけど、転記したので、
読んでみて。
**************************************
(前略)
(二人のこの登山が)どれほどまでの困難を伴ったのかは本文を見ていただきたい。
人間の身体にはこれほどの力があるものか。
手足の少なからぬ数の指をかつての凍傷で失い、
加えて妙子は高所ではほとんど食事が摂れない体質という悪条件のもとで、
必要なものをすべて二人で背負い、
平地の三分の一という酸素濃度、
氷点を下回る気温の中で、
垂直に近い雪と氷と岩を登り、
休み、吹雪に耐え、登り、雪崩に襲われ、落ち、
はなればなれになってまた互いを見つけ、生きて帰る。
人間の身体の力としてこれは驚嘆すべき偉業である。
だが、それだけならば、この記録にこれほど心動かされることはないだろう。
感動するのは、彼らが真の意味で自由であるからだ。
体力の次に持ち出すべきは精神力なのかもしれない。
彼らには常人のはない特別の精神力があった。
しかし、ぼくはこの言葉を使いたくない。
そんな簡便で都合のいい曖昧な言葉で彼ら二人を説明したつもりになりたくない。
それはトートロジーでしかないし、
沢木もそんな言葉は使っていない。
泰史と妙子は自由なのだ。すべてを自分たちだけで決められるように生活を、人生
を、設計している。あることをするのに、他人が提示する条件を容れた方がずっと楽
という場合でも、苦労を承知で自分たちだけでやる方を選ぶ。それは本当に徹底して
いる。その姿勢をぼくは自由と呼びたい。
(中略)
彼らが確保している自由の中で大事なのは名声からの自由である。
つまり名声を求めないこと。そういうものに振り回されないこと。
(日本人の自由観には、何々からの自由)というのがない。みんな自由とは何かしたいことを邪魔されずにできることだと思っているが、しかし、したくないことをしない自由もあるのだ。
例えば、徴兵制は人を殺さない自由を奪う。)
時として名誉欲は人を動かして能力以上のことをやらせるけれども、
泰史と妙子はそういう方法によって自分を鼓舞しない。
山に登る喜びは自分たちの中で完結している。
(後略)
**************************************
ここで池澤夏樹が言っている、「名声からの自由」というのは、
ボクの言葉で言えば、「他人の価値観からの自由」なんだ。
わかってもらえるかなあ。
自分勝手という言い方もできるだろう。
家族の事も考えろと言われるだろう。
だけれども、幸せの世界観を作り上げる事、
そして、そういう生き方もあるんだとシェアする事、
それも大事なんじゃないかと思う。
それって、家族のことを顧みずに、
日本のために尽くした政治家(例えば、坂本龍馬)
とベースのところで一緒だ。
そう思ってる。

さっき読み終えたんだけど、
読み始めてから読み終わるまで、ずっと心の中から離れない本だった。
山野井泰史と長尾妙子の二人の登山家による、
ヒマラヤの高峰「ギャチュンカン」からの生還記なんだ。

すごいの一言。壮絶な時間。
今まで、山岳登山、特にロッククライミングやる奴は
バカじゃないかって思ってたけど、
この本を読んで、少しは理解できるようになった。
ところで、
この本の解説で、池澤夏樹が言ってることが
心に残ったので、紹介したいんだ。
ちょっと長いけど、転記したので、
読んでみて。
**************************************
(前略)
(二人のこの登山が)どれほどまでの困難を伴ったのかは本文を見ていただきたい。
人間の身体にはこれほどの力があるものか。
手足の少なからぬ数の指をかつての凍傷で失い、
加えて妙子は高所ではほとんど食事が摂れない体質という悪条件のもとで、
必要なものをすべて二人で背負い、
平地の三分の一という酸素濃度、
氷点を下回る気温の中で、
垂直に近い雪と氷と岩を登り、
休み、吹雪に耐え、登り、雪崩に襲われ、落ち、
はなればなれになってまた互いを見つけ、生きて帰る。
人間の身体の力としてこれは驚嘆すべき偉業である。
だが、それだけならば、この記録にこれほど心動かされることはないだろう。
感動するのは、彼らが真の意味で自由であるからだ。
体力の次に持ち出すべきは精神力なのかもしれない。
彼らには常人のはない特別の精神力があった。
しかし、ぼくはこの言葉を使いたくない。
そんな簡便で都合のいい曖昧な言葉で彼ら二人を説明したつもりになりたくない。
それはトートロジーでしかないし、
沢木もそんな言葉は使っていない。
泰史と妙子は自由なのだ。すべてを自分たちだけで決められるように生活を、人生
を、設計している。あることをするのに、他人が提示する条件を容れた方がずっと楽
という場合でも、苦労を承知で自分たちだけでやる方を選ぶ。それは本当に徹底して
いる。その姿勢をぼくは自由と呼びたい。
(中略)
彼らが確保している自由の中で大事なのは名声からの自由である。
つまり名声を求めないこと。そういうものに振り回されないこと。
(日本人の自由観には、何々からの自由)というのがない。みんな自由とは何かしたいことを邪魔されずにできることだと思っているが、しかし、したくないことをしない自由もあるのだ。
例えば、徴兵制は人を殺さない自由を奪う。)
時として名誉欲は人を動かして能力以上のことをやらせるけれども、
泰史と妙子はそういう方法によって自分を鼓舞しない。
山に登る喜びは自分たちの中で完結している。
(後略)
**************************************
ここで池澤夏樹が言っている、「名声からの自由」というのは、
ボクの言葉で言えば、「他人の価値観からの自由」なんだ。
わかってもらえるかなあ。
自分勝手という言い方もできるだろう。
家族の事も考えろと言われるだろう。
だけれども、幸せの世界観を作り上げる事、
そして、そういう生き方もあるんだとシェアする事、
それも大事なんじゃないかと思う。
それって、家族のことを顧みずに、
日本のために尽くした政治家(例えば、坂本龍馬)
とベースのところで一緒だ。
そう思ってる。
