てのは面白いよなぁ。

日本には江戸時代からビリヤード
が入って来ていた。
最初は台上ゲートボールのような
ゲームで、メイスとよばれる舟の
オールのような道具で玉を転がし
て台上の穴に入れていた。

復元台。

1797年(寛政9年)の絵図。長崎出島。

象牙で作られた紅白玉をテーブ
ル上の穴に入れるゲームにやが
てビリヤードは発展し、1860年
前後にメイスとキューの競合が
頂点を迎え、1860年以降、メイ
スの柄部分から発達した棒状の
キューで玉を突く事に変化した。
キューが主体となってから、穴
を塞いで玉と玉を当てる種目=
キャロムビリヤードが発生し、
こちらが西欧で大流行するよう
になる。
ビリヤード=キャロムの事を指
すようにもなり、英国式スヌー
カーやアメリカンプール等のポ
ケットビリヤードは「ポケット
ビリヤード」と分類されるよう
になるが、元々ビリヤードは玉
を転がしてゲートを通して穴に
玉を入れるゲームだった。
日本の歴史では幕末頃に世界の
ビリヤードのルールと形式が変
化し、ポケットビリヤードとキ
ャロムビリヤードに変身した。
なお、当時はポケットだろうと
紅白玉を使っていたが、アメリ
カで独自に発達したプール(穴の
下に網を設置してそこに玉を溜
めたから)が米国限定で人気を
博した。
しかし、第二次大戦あたりまで
は、米国でもキャロムビリヤー
ドが格式の高い本物のビリヤー
ドとして扱われ、全米選手権な
どもキャロムビリヤードのスリ
ークッションや三つ玉で行われ
ていた。
日本でビリヤードが一般化する
のは明治以降だが、日本では四
つ玉(現正式名「四ツ球」)競技が
主流となった。台は9フィート台。
紅白4個の大きなボールを使い、
白い手玉を撞いて他の玉2個以上
に当てて点数となし、持ち点に先
に達したほうが勝ち、という種目。
紅白に当てたら2点、赤赤に当て
たら3点、赤赤白3個に当てたら5
点というルールだったが、1980
年代にすべて1点にルール改正さ
れた。
一方、四ツ球では1000点だろう
がすぐに1キューノーミスで撞き
抜いてしまう人も多く現れたの
で、クッション際に三角に玉を
寄せて撞いて行くセリー技法(レ
ールナース)の防止のために、特
定エリアでは一度玉を外に出さ
ないと得点とはしない「ボーク
ライン」も新たに登場した。
だが、それでも撞き切ってしま
う人たちが日本には何人も現れ
たので、手の打ちようがなかった。
戦前は日本人の撞球選手は世界
トップクラスだった。
スリークッション種目は、大台
を使って手玉で他の玉2個に当て
て1点とする種目だ。
ただし、最後の玉に当たるまで
に3回以上手玉がクッションに当
たらないと得点とはならない。
プロや上級者は30点を持ち点と
して対戦する。
しかし、初心者等は10点や15点
の持ち点にして上級者と対戦で
きるハンデ戦も非公式試合では
存在する。
昔の日本の撞球場はいわば一種
の道場でもあり、スリークッシ
ョンや四ツ球の持ち点順に壁に
名札が掲げられていた。段位ご
とに名札がある日本武道の道場
と全く同じ。
それゆえ、実力は撞球場に行け
ば一目瞭然だった。
キャロムビリヤードの中では、
スリークッションが一番難易度
が高い種目だろう。
初心者は、たとえ持ち点5点(そ
ういうのは無いが)だろうと、
1試合25ラウンド戦(順番が相手
が外しての交代が25回)で、上級
者と対戦してゼロ点のまま負け
となるだろう。
プロでもスリークッションは1
キューで30点連続撞き切り=
ノーミスで30回連続当てという
のは難しい。
プールでいったら、14.1ラック
で500点ノーミス撞き抜き程に
難しい。
プール台でも実はキャロムゲー
ムは楽しめる。
クッションの高さがキャロム台
とプール台では同じなので、キ
ャロム用の大玉をプール台で使
ってもよい。
プール台の6個の穴を専用穴ハメ
クッションで塞ぐのだ。ワンタ
ッチ式の物で。
するとキャロム台に変身して、本
物のキャロムボールで四ツ球も
ボークラインもできる。
ただし、台が小さいのでスリーク
ッションは無理。
他には、プールボールを使っての
四ツ球やスリー競技もできる。
穴に何かの玉が落ちたらファール
ではなく、台上のフットスポット
やセンタースポットに玉を戻すル
ールで。これが実はかなり面白か
ったりする。
ビリヤードの原型自体は紀元前か
らあり、かなり古いが、現在の形
に整ったのは南北戦争以降で、完
全に現行様式になったのは20世紀
に入ってから。
意外とビリヤードというスポーツ
は新しいスポーツでもある。
もっとも、球技自体がスポーツと
して誕生、整備されたのは、多く
が1900年代以降なのだが。
明治維新以降、明治初期から日本
人は撞球が大好きだった。
主として東京で大流行し、西洋料
理店に多く玉台が置かれていた。
また、明治の元勲の洋館には必ず
撞球台があっただけでなく、皇室
においても西洋各国の貴人との交
流の為にビリヤードは皇族の嗜み
の一つとして必ず撞球技術を皇室
の人たちは習得していた。
街中では、一般市民たちも大いに
ビリヤードを楽しみ、「辻を曲がれ
ば撞球場」という状態が東京や京
都、大阪では出現していた。
1986年に第二次ビリヤードブーム
が日本に訪れた。
その頃、高校生などはクラスに男子
が20人いたら18人位はビリヤード
経験者だった程だ。社会人も多くが
会社帰りにビリヤードに行き、台の
待ち時間3時間~5時間とか嘘のよう
な状態がごく普通に東京都内では発
生していた。
だが、実は明治初期から昭和敗戦ま
で、日本人の多くが撞球ができた国
民だった。国民競技のように日本で
は撞球が親しまれて行われていたか
らだ。
アメリカ人のほとんどがプール=
アメリカんポケットが誰でもでき
るのは、それは一般家庭の多くに
ビリヤードテーブルがあり、また
飲食店でも多くに玉台が置いてあ
るからだ。
横浜などで普通の飲食店に玉台が
多くあったのも、米軍駐留の名残
だったのだろう。今は軒並み台撤
去という状態のようだが。
アメリカ人にとってプールは馴染
み深い日常的な娯楽として存在し
て来たし、今もそのようだ。
西部開拓時代にも街の飲み屋には
プールテーブルが置かれていた。
これは映画『ワイアットアープ』
だが。

若き日のワイアット・アープ(ケ
ビン・コスナー)は銃を抜こうと
した者に対し、その場にあった
ビリヤードボールを投げて喉に
至近距離から剛速球を直撃命中
させて喉を粉々に破壊して窒息
死させてしまう。そして銃を取
り上げた。
西部開拓時代の焼き物のボール。
実物。よく割れた。
それゆえ、割れないボール用に
懸賞金をかけて、人類史上世界
初のプラスチックが発明・実用
化された。世界初のプラスチッ
クはアメリカのプールのボール。

日本におけるビリヤードの歴史
