良い鋼である事は間違いない。
洋玉鋼と呼ばれるだけの事は
ある。
ただし、「玉鋼」というのは
商品名であり、古刀期の日本
刀用の鋼と現代の商品名玉鋼
は全く別物だ。
大型の大送風たたらによる日
刀保玉鋼は「鋼の質が良すぎ
るゆえに脆い」というのがあ
るのは事実。
そして、多くの人たちは加熱
させすぎてデッドスチールに
してしまい、それを刀の形状
にさせている。折れ欠けする
のは当たり前だ。火花がパチ
パチ出る温度にまで加熱させ
て鍛造することが一般化して
しまっている。本物の日本刀
などは作れる筈が無い。
だが、改めない。
多くが固着脳で凝り固まって
いるから。洗脳によって。

現代刀の製法は幕末に水心子
が失伝していた日本刀の工法
を「研究による思い付き」で
「復元(ただし適正かどうかは
別)」させた工法をなぞってい
る。それは欠けやすく折れや
すい刀身にもなるだろう。
現代刀工のルーツを辿ると、
ほぼ全員が幕末水心子に行き
つく。全員。初代小林康宏さ
えも。
しかし、その中でも稀有なが
ら、出藍の誉れの人たちもい
るのもこれまた確かだ。
強靭な刀を作る。本当の日本
刀を。

現代の日本鍛冶の世界には恐
ろしい事実がある。
日本刀の刀鍛冶はともすれば
他の鍛冶職を「野鍛冶」とか
「刃物鍛冶」として睥睨する
人間が多い。自分らは崇高な
日本刀を作る作者であり、百
姓仕事の鎌を打つ野鍛冶とは
違って高尚なのだ、というド
勘違いをしている者は多い。
だが。
実は実用一点張りで実力が問
われて淘汰されて来た実用刃
物鍛冶職のほうが、捏造では
ない本当の古式工法を実践し
ている、というケースも多い
のだ。
下し鉄ができる野鍛冶さえい
る。
現代刀工でどれほどの人が鋼
のリセットをできるというの
だろうか。割り当て配給的購
入した決められた鋼を習った
通りの工法でしか加工できず、
そして軒並み刃こぼれ折損す
る「日本刀の形をした物」し
か作れない。

だが、それはそれでいいのだ。
現代刀は「美術刀剣」であり、
物を切ったり、武士が持つ物
ではないのだから。刀身はキ
ャンバスであり、あるいはま
た鋼を使ったオブジェとして
あるのが現代美術刀剣だから
だ。虎徹や真雄や幕末の水戸
刀工のような事を現代美術刀
剣に求めてはいけないのだ。
叩いたら折れる程の脆性を持
つ素材で作られなければなら
ない模擬刀、模造刀のような
ものでなければ現代美術刀剣
は存在価値が無いとされるの
が定式だからだ。
日本刀ではない物を日本刀と
称しているのではない。現代
刀は美術刀剣であり、刀剣で
はない。刀剣は何人(なんぴと)
たりとも特例措置を除いて所
持自体を法で禁じている。
現代刀は日本刀という刀剣で
はなく、「美術刀剣」なのであ
り、書画骨董、絵画やステンド
グラス、銅像彫刻等と同列なの
だ。
つまり、「日本刀の機能を有す
る物」は作ってはならない。
制度のシステムがそうなってい
るのだ。
事実、それに則って、「私の刀
で試斬などはとんでもない」と
公言する美術刀剣作家はかなり
多い。
真実は本末転倒であり、勘違い
甚だしいのだが、事実としてそ
のような社会現象が存在する。

有り体にいえば、武士が持つ物
ではない。
七支刀が実用刀剣ではなかった
ように、そうした実用とは無縁
な物を作っているのだろう。
だが、それを刀とは呼ばない。
これまた事実であり、真実だ。
実用刃物鍛冶たちを格下に見よ
うとしている時点で、すでに己
は鍛冶職ではない。鋼の造形オ
ブジェ作家だ。


現代の美術刀剣とはこれである。
芸術品としてこれを作っている
し、これを目指している。
脆く、欠け易いのは当たり前の
事だ。

これはこれでいいのだ。飾りだ
から。