肥後國菊池住同田貫正真物。

肥後國菊池の同田貫は戦国時代
から頑丈な戦場刀として名を馳
せていた。加藤清正が好み、ほ
ぼ抱え鍛冶のようにして鍛刀さ
せていた。
同田貫一門集団の作域は槍から
薙刀、太刀、打刀、脇差、短刀
にまで至る刀剣全般を武器とし
て製造していた。
刀は重ね厚く身幅広く、鋩(きっ
さき)延びごころで、肌物。
一般的な美術刀剣界の評価では
同田貫一派は同じ九州の豊後高
田鍛冶と共に「脇物」の格下と
され、同田貫においては疵気も
多く「見るに値しない」とさえ
見下されて来た刀だった。

だが、しかし。
1971年、一つの大転機が刀剣界
に訪れる。
それは劇画『子連れ狼』の登場
だった。
奇しくも、折れ欠けしやすい現
代刀を嘆いて憂いた小林康宏刀
工が当時としては比類なき斬切
力を持つ刀を生み出し、斬鉄剣
と称され始め、その単語が一人
歩きしてアニメ化された『ルパ
ン三世』(1971~)で流用された時
だった。(原作は元々は流星剣)
劇画『子連れ狼』の主人公拝一
刀が差す「胴太貫(どうたぬき)」
は肥後菊池の同田貫(どうだぬき)
を彷彿とさせた。
1972年から実写ドラマ化された
萬屋錦之介版の『子連れ狼』で
もドウタヌキは使用され、他の
刀を叩き切るシーンが何度も登
場した。

原作では胴太貫=ドウタヌキで
あり肥後菊池の頑丈無比の同田
貫ではないのだが、美術刀剣ば
かりを奉じる世に、真の本来の
日本刀とはなんであったかの一
石を投じた『子連れ狼』の功績
は日本刀剣史上において極めて
大きなものがある。


そして、一つの現象が日本の刀
剣の世界に起きた。
ドラマ版で拝一刀を演じた萬屋
錦之介さんが肥後同田貫にハマ
り、世界一の収集家となったの
だった。
自宅には保管しきれないので、
別に倉庫を借りる程で、その収
集数は数百口(くち)に及んだ。
国内の刀剣商に「肥後同田貫で
あるならどんな作品でも買うか
ら持って来てくれ」と依頼を出
していた程だった。
この萬屋錦之介本名小川錦一さ
んの個人的な莫大な収集の影響
で、それまで下作とされて金額
も軍刀並に安価だった肥後同田
貫の史上価格が一気に暴騰した。
一例でいえば、これは私もよく
記憶しているが、1972年時点で
1口20万円ほどだった同田貫が
一気にその数年後には150~200
万円程まで高騰した。出来のそ
こそこの古刀備前刀なみだ。
以降は金額はうなぎのぼり。
萬屋先生の買い占めにより市場
で数が激減したのと、『子連れ狼』
人気によるものだった。

萬屋錦之介さんが亡くなってから、
氏が所有した同田貫が一気に市場
に出た。
だが、金額はなかなか下がらなか
った。
そして、現在、正真同田貫を所有
する人は、その同田貫はほぼ萬屋
錦之介さんがかつて所有した個体

だと思って間違いないだろう。
これは漫画家の松本零士先生の
古式銃の収集にも近いものがある。
膨大な数の古式銃を松本先生は所
持保有していて、それが松本氏の
死亡と共に、遺族により売りに出
された。
こんなものまで所有していたのか
という珍しい希少重までもがあっ
た。

萬屋錦之介=中村錦之助さんも松
本零士さんも、「同田貫博物館」
とか「古式銃博物館」とかを作っ
てくれていれば、それが多くの日
本人が観られる機会も誕生しただ
ろうに、あくまでも両氏は個人収
集として集めていたのが、ほほえ
ましくもある一面では惜しまれる。
松本零士氏の旧蔵の古式銃はそれ
を表明して販売されているが、萬
屋錦之介さんの場合には伏せられ
ている。
晩年、企業の経営難で多額の借金
を背負った負債との関係もあるの
だろう。
萬屋先生は典型的な江戸っ子で、
金の斟酌などはしない人で、人に
大判振る舞いをするのが常だった。
また、人を信用し過ぎて金を預け
て盗用されたりとかも多く、晩年
は自身の運営するプロダクション
も屋台骨が傾いて相当な苦労をさ
れた人。
意外と知られていないのは、東映
の押しも押されぬ大スターだった
のに、1960年代には東映の労働組
合の委員長となり、熾烈な労使交
渉で東映労働者の為に粉骨砕身尽
力した人だったという事だ。
これまた江戸っ子気質で一肌脱い
で矢面に立って労使交渉をしたの
だろう。
萬屋錦之介=小川錦一さんはスク
リーンやテレビでのスターぶりだ
けでなく、実生活でも豪胆に生き
た人だった。
1980年代のインタビュー番組では
素の話しぶりが物凄いべらんめぇ
調の正調江戸前だったので私は驚
いた事がある。
知っていたのは映画・ドラマでの

あの独特の活舌とテンポの台詞ま
わしだけだったからだ。
その番組でも、レポーターに「こ
れ来たばっかりの同田貫」と新た
に加わった肥後同田貫の刀を見せ
ていた。その時点でン百ン十本目
との事で、レポーターがぶったま

げていた。

なお、同田貫は疵気が多い作があ
る事も確かだが、精緻な造り込み
の作も実際に多く、同田貫=下作
とするのは、刀剣界中央の五箇伝
至上主義の中央権力者たちによる
「作られたフレームアップ」であ
るのは明らかだ。

この個体も美しい。
これはもしかすると萬屋錦之介さ
んの個人蔵の刀が撮影のアップ時
に使用された可能性もある。
これは肥後菊池同田貫だろう。
胴太貫=清水甚之進信高ではない
事は体配から明らかだ。
殺陣の時には木製刀身だったが、
アップシーンでは真剣が撮影に
使われていた。
それが、どこからか横槍が入った
のか、大五郎役が入れ替わる第3
部からはアップでもちゃちな模造
刀が使われるようになった。初代
大五郎役の頃は、全作とも拝一刀
のアップシーンでの刀は真剣。





肥後国同田貫一族が住んだ肥後
菊池。



水清らかにして鱒の住む。
「澄んだ水には魚棲まぬ」とい
うのは創られた嘘だ。同田貫一
門が戦後に意図的に排除された
ように。実力ある刀がゆえに、
時代的な風潮の中で政治的に排
外されたように。
清冽な上流域の流れにこそ、静
謐な命を湛える魚、鱒族は氷河
期から棲んでいる。