ついに陸上自衛隊空挺に世界的
パラトルーパー標準のレッドベ
レー採用。

だが、今回陸自はちょいと深く
考えている。
その採用の色は、通常のレッド
ベレーではなく伝統的な世界初
の空挺ベレーの英軍空挺部隊の
マルーンベレー同色だ。英軍で
はエリート部隊の色。
赤味に紫系の色調が入る英軍独
特の色がマルーンだ。
日本陸上自衛隊はそれの同色を
採用した。研究している。30年
前の自衛隊とは大違いだ。パチ
ではなく本家本元本物と同色を
選択している。

新規採用の陸自徽章ではない空
挺独自ベレー徽章は、フィンラ
ンド軍の物のように大きい。
ただし、デザイン的にはかなり
イケてる。パクリの象さんとは
大違いだ。
小泉大臣はともかく、隊員幹部
のベレーのかぶり方は英軍空挺
かぶりではなく、英軍王室海兵

隊マリーンコマンドゥ式のかぶ
り方。これの陸自内での普及拡
散には実は一般には知られざる
裏事実がある(笑
私と当時の陸自将校が一番その
現実の真実を知っている。



実物イギリス軍空挺ベレー&
徽章(ベレークレスト)。
自衛隊採用の空挺赤ベレーは
これと同色のマルーンカラー
だ。相当研究した事だろう。



実は日中は目立ちそうなマルー
ンだが、同じ赤系でもスカーレ
ットなどとは異なり、日陰や夜
間ではほぼ見えなくなる。
実は暗闇では真っ黒色は案外と
目立つ。
一番闇に溶けるのは赤く熟した
柿色もしくは栗色なのだ。これ
は日本の昔の忍び装束が真っ黒
ではなく深い柿渋色に染められ
ていたのも同じ理由からだ。
英軍マルーンベレーは夜間の隠
密移動でも目立たない優秀な色
なのだ。ただの真っ赤とはまる
で異なる質性を特定環境条件で
最大限に発揮する色なのである。

なお、表の歴史上では画像さえ
も残されてはいないが、1970年
代最末期~80年代初頭の日本国
内の三里塚における新左翼の夜
間ゲリラ超党派混成部隊が被っ
ていたヘルメットは、濃茶色で
サンドブラスト処理された色の
ヘルメットだった。それを200
名程が一様に着用して国内の夜
間ゲリラ戦闘に参加していた。
空港施設完全破壊活動や対機動
隊の戦闘に。昼間に被る各党派
の表向きのヘルメットでは夜間
戦闘はしない。戦闘服まで一律
支給で、作戦後には焼却された。
そのヘルメットでの実戦戦闘回
数は十数度におよぶ。1978時点
ではそのヘルメットは採用され
ていなかったが、1979年から新
左翼混成選抜戦闘部隊に採用さ
れた。
夜間の機動隊ヘリによる強力ラ
イト地上照射でも密林の中では
光らない。ヘリには狙って一尺
花火がいくつも打ち上げられる
のだが。その間に無灯火機動車
両数台に分乗して全部隊がトラ
ボーンで大量移動する。1台に
30名程がぎゅうぎゅう詰めに乗
っての移動だが。
通常は前面突破ではなく包囲陣
形を形成して各所から一局を同
時多発的に攻撃する。空港施設
や建設業者施設や機動隊の宿舎
をも。
その夜間戦闘の事実のみを報道
した報道機関は、一様に「黒い
ヘルメットの集団」と表現して
いたが、黒ではない。闇に完全
に溶けるサンドブラスト処理さ
れた濃茶色のヘルメットだった
のが真実だ。
赤軍派登場から連合赤軍に至る
過程では銃と爆弾が使用された
が、70年代末期から80年代初期
の三里塚では対権力攻撃側は銃
器と爆弾は使用しなかった。
だが、総体の軍事性は遥かに赤
軍派時代などよりも高度に練れ
て、部隊行動も軍事的に統率さ
れたものに飛躍的に進化してい
た。
三里塚での戦闘では「失敗」し
た作戦は一度たりとも無い。
ただ、その混成部隊の戦果を後
日の報道で傍で観ていた中核派
が猿真似をして、空港建設業者
を放火で2名焼死させたのは大き
な誤りだ。敵方とはいえ建設労
働者である。労働者を殺して何
とする。
さらにその後中核派は1968年の
ブントの丸太抱えて防衛庁突撃
にずっと憧憬を抱いていたのか、
これも17年後に猿真似してマス
コミがいる前で目立つために全
く同じく丸太抱えて「大衆的」
突撃を三里塚で真昼間に演じて
見せた。
1970年代末期~1980年代初期に
おいて、中核派は一切三里塚で
の戦闘はやっておらず、そのく
せ革マルのように革共同らしく
威張り散らしていて、新左翼他
党派から鼻つまみものだったと
いうのも事実としてあった。ア
ジでは常に「勝利した、勝利し
た」と叫ぶので新左翼他党派か
らは「万年決戦待機主義」と揶
揄されていた。
だから目立つマスコミ受け突撃
をしたり、猿真似夜襲で放火殺
人をしをしたりしたのだろう。
中核らしい「失敗」の作戦だ。
実利実績ゼロ。
そのうち自民党と党派闘争に切
り替えて中核派は自民党本部を
焼き討ちした。
自民党は英国公使館じゃないか
ら。100数十年後に目標も間違
って我らが中核派の諸君は何を
やっとるのか。
なにを勘違いしたのか大山祇神
社の山門を放火したりとか。
何の実利戦果があるというのか。
ズレズレもいいところだろう。
1970年代最末期の新左翼の混成
部隊の濃茶サンドブラストには、
その実戦認識の現実性において
思想性が現出していた。表の顔
と裏の真の顔、という面でも。
夜間戦闘の夜襲は闇に溶けてこ
そ軍事的な意味がある。
中核のようにいつまでたっても
俺様オラオラの目立ちたがりで
は現実の軍事戦果は獲得できな
い。

ただ、今の時代は対権力軍事作
戦はほぼ無理だ。
国家権力側が警察も自衛隊も海
保も対テロ対ゲリラ戦組織を構
築し、高度な訓練を積んできて
いるからだ。
1970年代末期には自衛隊や警察
部隊よりも、士気と練度は日本
人ゲリラのほうが高かったとい
う事実がある。
それゆえ三里塚空港の管制塔ま
でもがゲリラ戦で占拠できた。
その時代性を国家権力側からの
危機感を持っていたからこそ、
小説『戦国自衛隊』と映画『戦

国自衛隊』が作られた。
あの作品は、国家権力が反体制
的な言動や行動を為す国民を抹
殺する特殊部隊が秘密裏に創設
されていた、という話が骨子に
なっている。
1970年代後半ではそれは絵空事
の物語であり、現実ではなかっ
た。
だが、現代はそれが現実となっ
ているので、対権力軍事ゲリラ
の蜂起はほぼ不可能となってい
る。
1970年代末期は、反権力側も口
先だけの勇ましさではなく、現
実的に軍事的行動によって戦果
を出していた事実がある。
今は、時代が違う。
ヒヨリとかではなく、軍事バラ
ンス的に1970年代とは状況が異
なるので、ゲリラ戦は不可能で
ある時代となった事は広く国民
においても認識する必要はある
だろう。
実際にやっていたが、いくら、
海外で組織的もしくは各個人的
に火器による訓練を積んで帰国
しようとも、軍事武装ゲリラ戦
自体が国内ではまず不能な時代
となったのだ。
あとは残るは「外患誘致」のみ。
だが、それは自国の体制変革の
手段としてはやってはならない。
どんなイデオロギーであれ、外
国のひも付きとなるのは明白で
あり、憂国ではなく国と国民を
売る亡国の挙となるからだ。
それだけはやってはならないと

いう自戒と自省と制御なき軍事
行動は、ただの暴挙だ。

私が高2の時、特進クラスの担任
が授業で言った。
「日本革命の際にはまず君らな
らどういう行動を取る?」と。
私は「国会を包囲する」と答え
た。
言下に元早稲田のブントだった
担任は笑いながら言った。
「議事堂などはただの建物だ。
意味ない。誰か他に回答者は?
なら、言おう。習志野を抑えろ。
それこそ真の意味がある」と。
完全なる偏向教育とはこれだ、
みたいな事を担任はやっていた。
のちにうちの高校を見限って、
都内有数の全国的進学校の開成
高校に転職し、開成では副校長
=教頭にまでなっていた。
なんだそれ?(苦笑)。

49年前の事を語るという事は、
1994年の平成6年に太平洋戦争
中にあった事を語るようなもん
で(笑
まあ、時は経ちすぎてはいるよ
な。

今、習志野はマルーンベレーの
軍団と化した。
彼らが構える小銃の銃剣は敵国
兵士を刺す為の物ではない。