東大闘争時の旧共産同マル戦前衛派。

<1967年7月時点の中核派による
共産主義者同盟(ブント)マル戦派
批判>

http://miraikakukyodo.jp/h.tyosakusen/no2033.html

マル戦が中核にゲバルトしかけ
ていた筈だ(笑
あれねぇ、根っこは「じゃかま
しいや。ゴルァ」だったと思う
よ(笑
1970年代初頭、明学からは中核
を鉄パイプによるゲバルトで叩
き出したが、逆に報復で法政か
らはマル戦が叩き出された。明
学は一時期各大学の亡命者であ
ふれていた。
1960年代後半~70年代初期には
マル戦は他党派からは「単ゲバ」
と呼ばれていた瞬間湯沸かし器
党派だ(それがかつてのブントの
中央部だったし、ブント的な部
分でもあった)。
60年代末期にはゲバ棒ではなく
手斧を全員が所持してマル戦は
集会に参加していた。丸鉄パイ
プだとヘルメットに弾かれるか
らと、鉄板フラットバーを3枚
重ねで溶接して、先に行く程薄
くした武器を開発してゲバルト
に使ったのもマル戦だった。そ
れだと敵党派のヘルメットに深
く沈むから。
ゲリラ戦においては、10.21新宿
では、マル戦の表のメット部隊
は西口広場の大衆扇動をし、攻
撃隊は酔っ払いに扮装した隠密
集団がコートの両ポケットの中
に忍ばせた徳利に仕込んだ火炎
瓶で都電や交番を燃やした。裏
柳生の草の仕事のように。
大集会になると、銀ヘルの周囲
にじわりじわりと隙間ができる。
元中核派の女性によると「巻き
込まれたくない」からだったそ
うだ。狂犬のようにマル戦は大
暴れするからだ。
神奈川大に集結する解放派を襲
撃した時には、青解が持ち出し
た日本刀をマル戦戦闘部隊は奪
取して逆に行使した。
マル戦50名、解放派150名で解
放派がゲバルトで完全敗北した。
マル戦前衛派は1968年にブント
を離脱してマル戦内部で枝分か
れ分裂したマル戦怒涛派に対し
ても「赤軍派寄り」との点から
ゲバルトをしかけて叩きのめし
たりしていた。

兄弟党派であるマル戦怒涛派を
叩きのめすマル戦前衛派。画像
右端で対峙しているのは中核派。

1973年、マル戦前衛派は対党派
ゲバルト路線を停止した。党派
としての任務ゲバルトは終了し
たが、個別各大学では他党派に
対して暴力を行使しなかった訳
ではない。それは6年後の私の
時代でも。

私の時代。三里塚都内集会。
左奥のほうにいる銀ヘルがマル
戦。その手前横が解放派。その
手前横の赤ヘルが日向戦旗(旧
ブント)。その手前横の赤が第
四インター。一番手間は労活評。

(マル戦前衛派撮影班が撮影)

1967年時点で中核派がブントの
マル戦を批判する骨子は「ブン
ト的」である点を中心に批判し
ている。
要するに、あるときには豪胆突
撃主義で、あるときには上意下
達主義で、ある時には天下の大
出鱈目で、常にほぼ行き当たり
ばったりの現場主義、というブ
ント的な面を。

そんなのしかたないじゃん。
それがブントなんだから(笑
この7月の中核批判の3ヵ月後の
10.8羽田ではブント大部隊は首
都高を逆走してドボンをやらか

すくらいなんだから。駆け足し
てたらどんどん羽田空港から遠
ざかってたんだから。
ブント以外、そんなバカやらな
いよ(笑
元々が出鱈目てきとーすけ大魔
王がブントなんだから。
後年誕生した赤軍派にしても、
国際根拠地論で世界に根拠地を
作るとか言って、「どういう段取
りで」と幹部に尋ねたら「そん
なもん自分で考えて自分でやれ」
(ママ)という程なのだから。赤
軍派でさえ大ブント的な体質か
ら脱却できていなかった。
北朝鮮にハイジャックで飛んで、
「金日成を理論で強姦してやる」
とかクソバカな事言って、結局
囲い込まれただけでなく北でど
んどん闇から闇に殺されてたの
が赤軍派だったし、そうしたお
ばか感性はブントそのものだっ
たのだから。田宮もまさか自分
まで金王様の逆鱗に触れてズド
ン!だとは思わなかっただろう。
死ぬ間際まで。
だから、そういう出鱈目大将の
ブント体質を中にいたからこそ
理解して「そうじゃねぇだろう」
というところで、自分たちは60
年安保敗北後の総括過程の中で
ブントを出て黒田革共同に合流
したのだろうに。中核派の諸君
は。
だが、そこも「違うぜ」となっ
て革共同主流派と分裂して自分
らは中核派を形成した。革共同
主軸派はのちに革マル派となっ
た。
中核派は元々は共産同ブントだ。
だから共産同ブントの事にも他
党派なのにさしでがましく口出
ししていたのだろう。1967年時
点で。高邁なご高説を以て。

他党派を権威主義的であるかの
ように感情的に中核派は機関紙
の紙面で非難しているが、文面
においてこうした高邁な形での
表現を連ねるのは革共同の得意
技で、まだこの1967年時点(マル
戦はまだブント内にいた)での中
核派に既にみられる。
革マルと中核の不思議は、よく
ぞ機関紙において口汚く他党派
を非難する特徴がある事で、革
マルなどは中核をウジ虫と称し、
中核も同様の口汚い表現を公的
に行っていた。それは1970年代
末期の私の時代の両者殺し合い
の時代においても。
内ゲバによる死者は優に100名
を超えている。

極めて個人的な感慨だが、どん
なに崇高な革命理論を持ってい
ようとも、その表現性において
えげつなく、高慢チキチキなの
はアウトだと私は思っている。
これは既成左翼だけでなく新左
翼すべてにおいても。
理由は今のネトカスネトウヨと
同質に質性が転落してしまうか
らだ。

上掲の1967年7月の中核派によ
るブントマル戦派批判は、中核
派の体質=革共同の体質がよく
判る文章だ。革マルはもっと理
性的に文章を書くが、革共同体
質はどちらも全く同じで、極め
て口汚い言い回しも公的文章に
おいても書き連ねる。
たぶん、革マルはもとより、中
核も中にいる人間の性根と性格
はとてつもなく悪い。そりゃあ
まちげぇねぇぜ(笑
昔、某国大の元中核派の男が私
に語っていた事がある。70年安
保世代だ。
「個人的には絶対に友だちにも
なりたくない、話もしたくない
ような奴らしか革共同にはいな
かった」
そうだろうな、と思う。
中核派は1960年代末期~70年代
初期には大衆主義で学生に大人
気だったし、数も一番多かった。
だが、中央部の体質というのは
結局は黒田革マル革共同と同質、
というのは1960年代からあった
のだろう。

知らんけど。