これは江戸期の浮世絵だが、こ
れと同じようなポーズの銅像や
図が日本ではよく見られる。
だが、これは非現実的なデフォ
ルメされた虚構だ。
なぜならば、刀身が刀の形状に
なっている火造(ひづくり)を終
えた状態で、先手が大鎚を振る
事はありえないからだ。
こうした図柄はあくまでイメー
ジ描写なのだが、現実的な刀鍛
冶の鍛造過程とはかけ離れてい
る。



現実の刀鍛冶の光景とは大きく
異なるという点は、火造を終え
た刀身に大鎚など振り下ろした
ら刀身はひん曲がってしまうし、
そもそも刀身の形状が出来上が
った段階で大鎚などは必要ない
からだ。実際にはこの図のよう

にはやらない。火造後には横手
(親方)が小鎚で歪み等を細かく
叩いて整えるだけだ。
先手の大鎚が必要なのは鍛造の
ごく初期で、鋼を折り返し鍛錬
して打ち延ばしを繰り返す工程
段階なのである。

国内に蔓延しているこの図柄は
多くみられるが、現実的には存
在しなかった開拓時代のアメリ
カ西部のガンマンの抜き打ち決
闘のようなもの。演出である。
現実の銃の発射音がバキューン
とはならないのと同じ系統のあ
くまで虚構の演出。
だが、こうした演出表現は、と
もすれば日本人だけでなく、外
国人には大きな誤解と誤認を与
えかねない。銃器を知らなくな
った多くの現代日本人が鉄砲の
発射音はバキューンだと思い込
んでいるように。
この絵図や彫刻によくある刀鍛
冶の鍛冶仕事で横手と先手の鍛
造ポーズのシーンは、横手が鐵
箸で塊状か板状の鋼もしくは梃
子鉄(てこがね)の先に鋼の塊を
持っているのでなければ現実か
らは乖離しすぎている。

さらに付言すると、この図柄の
横手と先手が対面する鍛造段階
では、横手は鍛造物は打たず、
鍛造物をよけて鉄床(かなしき)
の上面の横をコンコンとリズム
を取って叩いて先手に指示をす
るのが通常であり、多少対象を
叩く事はあっても、横手自ら先
手と共に短い柄の大きめの鎚を
真上に振り上げて主鍛造をする
事は無い。役目が明確に違うの
が刀鍛冶の仕事だからだ。
現実と絵画や彫刻等の芸術表現
の虚構演出は違うという事を知
ろう。

しかも、上掲トップの浮世絵や
この下画像の横手のように、頭
部からかなり離れた位置で頭部
より上に鎚を振り上げてやる鍛
造などはこの世に無い。
この下の銅像などは、横手はま
るで野球の投手の投球のような
位置に拳があり、現実にはあり
得ない。このようなフォームで
は人は殴れないボクシングと同
じ。鎚を打つのは刀で切るのと
身体動作と運用は酷似しており、
真っ向には振りかぶらないが、
火造ではやや肩口に開くとはい
え、この銅像のようなポーズに
はならない。
この銅像作品のポージングは多
数の点で虚構にまみれている。
仏教坊主が十字を切る事が無い
ように、考証出鱈目な映画やド
ラマの如く首を横に思いっきり
寝かせて狙うプロのスナイパー
がいないように、現実世界は無
いものは無い。
だが、本物とは異なるポーズと
図柄等々である事は、日本刀関
係者でさえもあまり指摘しない。
つまり、本当の事は言わない。
ますます、非現実的な事がそれ
が本歌であるかのように広まっ
て定着してしまう。
そういう構造の中に虚構で描か
れた「刀鍛冶作品」の姿はある。


ある意味、刀鍛冶の「ちょろい

もんだぜ」を表現した彫刻作品。
非現実的な虚構だ。