フィンランドのカウハバの鍛冶
職人が作った本物の Puukko。
カウハバン・プーコパヤ。

フィンランドの軍用Pukkoの
ペルトネンM95。



個人的に思う事がある。
結論から言うと、正真正銘本物
の Puukkoというのは狭義には
フィンランドでフィンランド人
が造った物だけがプーコだと。

フィンランドの Puukko につい
ては、日本語でのカタカナ表記
は「プーッコ」「プウッコ」「プ
ッコ」「プーコ」等いろいろあっ
たが、 現在はプーッコで統一さ
れつつあるようだ。
だが、実際の現地での発音はプ
ーッコが実音に近いとはいえ、
プーコという表記が日本人には
馴染みやすいと私は感じる。
それは MacDonalds の事をマッ
クダナーズとは書かずにマクド
ナルドと日本人が定式化したよ
うに。大阪人が無理やり自己絶
対化で「マクドナルドとあるか
らマクドやろ。どこにマックと
か書いてんねん」という英語
表記丸無視自己中大阪民国(だ
いはんみんこく)ぶり発揮とは
別な意味で。
Puukko に関しては、そもそも
日本語の表記では語の変化とし
て「カーット!」とかは口語で
はあるが、固有名詞表記として
は「ーッ」というのはほぼ無い。
プーッコ表記が初めてではなか
ろうか。
私はどれでもいいとは感じてい

るが、プーッコも使うしプーコ
も使う。本来はマックと同じく
原音に近い表記が好ましいだろ
うが、メインストリートをメー
ンストリートと書いたりするの
が日本だ。連合王国英語ではな
く米語で little の事を原音に近
いからとリロロと書いたりはし
ない。
然るに、原音追求したいならば、
マクドナルドもマックダナーズ
と書くべきだろうとか思ったり
する。
∴Puukko は「プーコ」でよい
のではなかろうか、と。

もう一つの Puukko に対する感
想は、最初に述べたが、プーコ
とは狭義にはフィンランドの刃
物の事であり、広義には北欧の
刃物の事である、という事実が
存在する点についてだ。
いくら北欧以外の地域の人がフ
ィンランドの Puukko に似せた
物を造ろうとも、それはインス
パイアレプリカモデルでしかな
い。
この事は、日本刀というものは
日本人が日本国内で作る物を日
本刀というのに似て。
日本国内で刀鍛冶の下で修業し
た外国人が造る日本刀も日本刀
だといえるが、海外で日本刀の
製法ではないやり方で外見だけ
似せた物を外国人が造る刃物の
事は日本刀とは呼ばない。刀剣
とは呼べても、日本刀ではない。
それゆえ、いくら中国人や朝鮮
人が日本刀に外見のみがそっく
りなロングナイフを造ろうとも
それは日本刀ではないのだ。
尤も、これは日刀保が固定的に
規定している幕末復元工法で製
作した刀以外は日本刀と認めな
い、という偏頗な視点からの指
摘ではなく。
要するに、本物の国内で本物の
鍛冶職が作る物のみが本物であ
る、という事。
これは Puukko についてもいえ
る事だと思うのである。

例として、一般的ナイフの場合、
この米国銃器メーカーのブロー
ニングのナイフは日本人が作っ
た。製作者は関の服部一郎氏。



これは誰が作ってもブローニン
グ社からの自社製品としての販
売なので「ブローニング」だと
いえる。現在ではスウェーデン
のファルクニーベンF1などがそ
れに該当する。



だが、日本人や他の外国人が北
欧フィンランド以外の国で作る
物は、いくら外見上が Puukko
に似てようとも、あるいは、製
品名に Puukko を使用していよ
うとも、それはプーコではない。
プーコインスパイアモデルもし
くはレプリカモデルだ。





それゆえ、私などが仮に外見を
フィンランドの Puukko に似せ
たナイフを造ろうとも、それは
プーコとはいえないのである。
日本刀がそうであるように。

こうした視点、視座は、そのそ
れぞれの国の固有文化を尊重し、
敬意を払うという点でとても重
要な事のように思えるのだ。
あくまで個人的な視点であり、
ある種の思想性に似た物である
ので、社会的な普遍性の有無は
置いといて。

一方、日本には日本独自の日本
刀以外での刃物の作り方、作ら
れた刃物が厳然と存在している。





日本刀の製法に準じて造った
私の打刃物。





これらは「和式打刃物」として
一つの独立した領域を形成して
いる。
これらは日本固有の存在だ。
いわゆるフィンランドの Puukko

と立ち位置は近いものがある。

北欧人たちの中でも意見が分か
れるスウェーデン製のモーラと
フィンランド製の現代プーコの
マルティーニのナイフ。



北欧人たちの中にも私と同じ
ような視点に立つ人たちはい
るようで、スウェーデン製の
モーラナイフは Puukko では
ない、という意見も多く存在
する。
フィンランド人と日本人のハ
ーフであるフィンランド在住
の鍛冶職の大泉聖史さん(現在
オリジナルプーコ製造販売は
廃業)は、モーラもプーコのう
ち、という見解を動画で示し
ていた。
私の場合は、モーラはモーラ
としてスウェーデン製ナイフ
の個別性を重んじて、あえて
「モーラはプーコではなくモ
ーラである」という視点で見
たいと思っている。
排除意識の動員ではなく、独
立固有性の尊重と各国の固有
文化に敬意を持つという視点
と意識で。
これはもう個人の思想性の問
題になってくる。

話は変わるが、日本人は小学
校で教育を受けた人であるな
らば、誰でも全員「刀」を使
った事がある。
それは彫刻刀という「刀」だ。



さらには、結婚式などでウエ
ディングケーキを切った事が
ある人たちも「刀」を使う。
ナイフでカットする事を「入
刀」と日本人は呼ぶ。
日本における「刀」とは日本
刀の事だけを差すのではなく、
刃物全般の事をも包括的に広
義において「刀」と呼んでい
るのである。
それは、北欧では刃物の代名
詞となっている Puukko とい
う単語の存在と極めて似てい
る。
北欧文化と日本文化の接点が
そこにある。
日本人も北欧の人々も、刃物
を身近に引き寄せて日常的に
違和感なく馴染んできた人々
であるのだ。
日本では彫刻刀もケーキカッ
トのナイフも「刀」であり、
「刀=刃物」は日本人と共に
長く生きていた。否、日本人
は刀と共に生きて来た。
それは今でも続いている。
こういう深く根付いた固有の
文化こそが大切にされるべき
であるし、その固有文化は外
圧あるいは内圧によって破壊
されてはならないものだと私
個人は思っているのだ。

たかが刃物。
だが、そこに内在するものは
とても深いものがあると思え
るのである。
人間と社会、人々が築いてき
た各国固有の文化を大切にし、
尊重し、それには国境を越え
て敬意を払う。
それが大事なのでは、と。