cutlery という英単語は元々
は「刃物」を意味したが、
現在ではスプーンやフォーク
などの食事用器具全般を指す
単語になっている。
日本語の場合は「刃物」「食器」
と別れている。欧米ではカトラ
リーしかない。
これは刃物の発達史と文化の
歴史の違いだろう。
日本語では大別する単語で分
けている。
中国語から派生した包丁にし
ても、英語では単なるキッチ
ンナイフ、クッキングナイフ
という「ナイフの一機能」と
してしか言語上では認識して
いない。

現在、世界中の包丁は日本人
が江戸中期に考案した独自の
包丁のデザインシルエットを
踏襲している。
日本とて、江戸初期あたりま
では日本刀の短刀のような形
状の物が包丁だった。
正倉院宝物殿に納められてい
る奈良時代の包丁などはカッ
ターナイフのような形状だ。
また、日本の古く古墳時代か
らの刃物でもある刀子(とう
す)とも非常に似た形だった
のが日本の元来の包丁だった。

だが、日本では「刃物」と
「食器」は別分類で認識さ
れてきた歴史があった。
それは「切られて調理され
た物を膳の上の皿で食す」
というのが日本の食文化と
して発達してきたからだろう。
デンと丸焼き物のようなの
を一つの皿の上に載せて、
それを食事時に切りながら
食べるという文化は日本に
は存在しなかった。
ゆえに、包丁などの刃物は
台所でのみ使用し、食事時
には使用しなかったのが日
本の食事の文化だった。
そのため、刃物は「刃物」
としての独立存在であり、
食器は「食用器具」として
別物と認識される認識が継
承されて来たのだろう。
「刃物」も「食器も」一つ
の単語「cutlery」で括るの
は、日本人の歴史的食文化
の観点からはピンと来ない。
おしなべて言うと、英語で
は軍隊の殺傷目的のナイフ

であろうと、食卓のナイフ
であろうと、バターナイフ
であろうとも「cutlery」で
しかないのだ。
戦闘刃物とバターナイフを
同じ単語で一括する。
なんだか、かなり大雑把な
ように思えてしまう。

ただ、日本人のそうした伝
統的概念は、お上が民を法
で縛って牙を抜く際には大
いに役立っている。
曰く「刃物は危ない物」「刃
物を好む人、持つ人は危な
い人」という洗脳を周辺支
援者たちの大々的キャンペ
ーンと共に1960年以降実行
して来たからだ。
その法的根拠となる法律も
勝手にどんどん改変してき
ている。
「国民の安全のため」とい
う大嘘おためごかしを並べ
て。
銃刀法と軽犯罪法があるが、
軽犯罪法では「正当な理由
なく」すべての刃物の携帯
が禁じられている。
キーホルダーに刃渡り1セン
チの刃物を吊るしていても
逮捕できる体制になってい
る。

敗戦国になるまではこうし
た国ではなかった。
福祉保障や人権や参政権、
戸籍に記載された生まれな
がらの階級制度等々では戦
前戦中までの制度は廃棄す
べきものであろう。
だが、基本的に戦後の日本
はすべては「一国の奴隷」
となるべく国民教育をする
国となり果ててしまった。
フィンランドでは小学生の
時に全国民が民族ナイフで
あるプーコナイフを学校教
育で自作し、使い方を学び、
以て刃物を犯罪などでは使
わずに人間と自然と共生す
る大切さを教える。
日本の場合は、1960年以降
は、社共も自民党も一丸と
なって国民から刃物を取り
上げ、刃物=悪という洗脳
を断行し、子どもたちに安
全な使い方と正しい使い方、
不正な事をしない心を教育
する事を放棄した。
結果は20年後くらいにてき
めんに現出し、日本国内の
あらゆる小学校中学校高校
等でいじめが蔓延した。
悪しき悪魔の教えである教
育勅語などを復活させよう
がもうこれは手がつけられ
ない。教育者たちが教育を
放棄したからだ。
また、親たちも自分の子ど
もを躾ける事を一切やらな
くなった。団塊世代が親に
なったあたりから。
つまり、1970年代末期~
1980年代~1990年代中期
あたり生まれの子どもたち
の時代が一番ガッコウが荒
れていた。教員たちが心身
を病み、精神疾患で入院通
院する者たちが激増したの
もその時代からだ。

さしあたり、人から刃物を
取り上げて良い事は一つも
ない。これは思惟において
も制度においても人間教育
的配慮の点からも。
刃物を与え、低年齢時代か
ら早期教育で正しく適切な
使い方と、刃物が人々にも
たらすのは本当は幸福であ
るという教育をしないと✖
だろう。
林間学校や学校主催のキャ
ンプに生徒が個人の肥後守
や小型ナイフやクッキング
ナイフさえも携帯してはい
けない、などというのはバ
カバカしくて話にならない。
そのうち、カレーライスを
みんなで作ったけど、スプ
ーンは危ないので手で食べ
ましょう、てな事になりか
ねない。インド式だからそ
れでいいでしょう、てな事
にはならない。

可愛い子には旅をさせよ、
と同じく、本当に子の事を
思うのであれば、可愛い
子でも可愛くない子でも
刃物を持たせよ、だ。
そして、大人がまずその正
しい対処法を心まで含めて
身につけていないとならな
いが、大人が子どもたちに
教えてあげるのだ。怪我を
しない方法、人を傷つけな
い方法、本当の安全確保の
やり方を。
戦争が本当に嫌いで戦争が
嫌だと思うならば戦争の現
実から目を逸らす事ではな
いように、刃物は人から取
り上げて私は無関係とばか
り知らんぷりするのではな
く、安全に使う方法と刃物
が生む人々の笑顔を大人た
ちが子どもたちに教えてあ
げる必要がある。

刃物は笑顔を生む道具。
だが、使い方を誤ると大怪
我をする。
その本質はしかし人間に一
番近い道具である刃物の本
質そのものなのだ。
そこから逃げたり忌避した
り嫌悪するのではなく、そ
の本質自体を人間が身近に
引き寄せて「適切にコント
ロールする」事こそが人と
しての大切さを実践する事
にもなるだろう。
道具の中でかなりの精度を
以て人間自身が制御しない
とならないのが刃物だから
だ。
毎日の全人類の食事は刃物
から生まれる。そして、食
事は人間に笑顔を生む。
核の部分はそれだ。