
日本のオートバイメーカーが開発
ライダーを廃止してから日本の
二輪の性能は瓦解してダメバイク
しか作れなくなった。
テストライダーの上にいる開発
ライダーによる高度な知見を採
用しての車作りをやめて、何で
もコンピュータのデータのみか
ら乗り物を作ろうとしているそ
の大間違いをやめない限り、今
後日本のオートバイがかつての
ように世界一の性能となる事は
無い。
モーターサイクルマシンにテスト
ライダーとその上に開発ライダー
がいるように、キューにもテスト
プレーヤーや開発プレーヤーはい
るのだろうか。
実はいる。
アメリカのトッププロで、単なる
メーカー提供ではなく、自身が
キューの方向性や能力について
試験して知見を提供して製作者
と共にキュー作りをしているメー
カーにはテストも開発も専属プ
レーヤーがいる。ジョニー・アー
チャーやコーリー・ドゥエルらが
それにあたる。
だが、同じキューテック製の製品
広告塔でも、アリソン・フィッシ
ャーやアール・ストリックランド
は違う。単なるスポンサードを受
ける被提供者だ。日本のプロは
全員これ。タップ以外にキューの
開発者はいない。ゼロ。
アメリカン・カスタムキュー・
ビルダーの多くは上級プレーヤー
だった。玉を撞けない人はTAD
さんとか数人しかいない。
TADコハラさんにしても、全く
撞けないど素人ではない。ビリ
ヤード場の経営から入っている
ので、玉は撞ける。だが、トー
ナメント・プレーヤー程にはで
きない=玉は撞けない、という
だけの事だ。

TAD KOHARA
一方、玉が撞けるキュー・ビルダー
というと典型が世界チャンピオン
のマイク・シーゲルだ。
若い時にJossのダン・ジェーンズ
の所でバイトしてキュー作りをや
ってはいたが、現役選手最後頃に
自分で旋盤回してキューを作り
出した。
「今はお休み」と言ってるが、
彼の作るキューは本数が少なく
とてもレアだがしっかりした物
だった。
私は一度シーゲル・キューで1マス
撞いたが、ボブ・ランデによく似た
性能特徴のキューだった。
シャフトで手玉をギュンと持って
行くキュー。かなり良い。
他のビルダーも元撞球師がかなり
多い。相当の腕だ。
これ、日本刀での一部の現象に
似ている。
大村加卜(かぼく)はじめ、比類
なき強靭な刀を作った源清麿(す
がまろ)と兄の山浦真雄(さねお)
も、元々は刀術者だった。剣士。
だが、どうにも良い刀がないの
で自分で作り始めた。
日本刀の世界の場合は、刀鍛冶
は鍛冶屋であるので、剣術など
できないケースが多い。武士で
はないからだ。
武士の刀鍛冶の典型は水戸殿で、
単なる殿様の手慰みの域を超えて
いる。武の水戸徳川家の面目如何
という域だ。玄人裸足。
シーゲルの作ったキューは、実際
に撞いてみるとそんな感じがした。
TADさんは玉撞きが「できない」
が、モスコーニの生徒指導用の
キューを作っていたので、世界一
の知見者の見識を得ていた。
だから、あれ程の中身のあるキュー
が出来たのだろう。
本人は「バラブシュカなど高嶺
の花で皆さん買えないから、私
がハウスキューの改造から初め
て手がけた」と謙遜するが。
先人著名大御所ビルダーの機械
と技法を受け継いだTADさんは、
パートタイムの修理と改造をやめ
て、一からキューを作るフルタイ
ム・メーカーになった。
最初はただの「玉屋のオヤジ」だ
ったのに、1963年にキュー作り
を始めてから歴史の人となった。
個人ビルダーとしては年間80本
は多産のほうだった。
大手コンダクターのパーマーなど
は月産400本程のプールキューを
作ってブランズウィックを抜いて
いた。
キューのテストプレーヤーと
開発プレーヤーと製作者。
オートバイのテストライダーと
開発ライダーとメーカー。
日本刀の実用知見者である実力
ある剣士と刀鍛冶。
それぞれ、似通った関係性が
ある。