教えに背くわけではないが、イエス
が言った「この者に悪魔が入った」
というのは実は違うのではと思う。
スコット.ペックが著書に書いた
ように、どこまで行っても「邪悪な
人間」は「邪悪な人間」でしかない
のではと感じる。
その邪悪な者は決して己の犯して
いる罪と
向き合おうとはしない。
それは悪魔がその者に入って心を
支配したのではなく、最初から
その者はそうした邪悪な人間でし
かないのではないか。
イエスさえ言った言葉がある。
「この者は生まれてこないほうが
よかったかもしれない」と。
そうした人間はいるのだ。
この世に光と闇があるように、邪悪
な暗黒心でしか生きていない人間
は存在している。
その者の存在が害悪であるのは、光
の部分も邪悪な暗黒で多い尽くそう
と実際に言動を為して浸食しようと
し、現実にその為に動く事だ。
ただ生きているだけならば害悪は

人々にはもたらさない。
だが、実際には閑居せずとも不善を
為す。
つまり、光ある世界を闇に包もう
邪悪な心で行動を為す。


それらの者にも赦しと救いを与える
必要があるのか。
「生まれてこないほうがよかった」
邪悪な存在に対しても。