今でこそなんだかんだで定着した『超絶』ですが・・

そもそもは2009年に出版したこの教則本がきっかけでした。

 

 

?・・10万?なんじゃこれ(笑)

 

まぁ値段はともかく今はもう廃刊となってしまっているのでプレミアがついているのか分かりませんが、とにかく難しすぎてダメな教則本でしたね(笑)

 

大抵僕がやる事は「過ぎる」のです。

 

でも僕にとっては当たり前なんで過ぎる事はないんですが・・時代が中々僕に追い付かないので困っております💦

 

特に「ネオクラシカル」スタイルが代名詞の僕が意外なアプローチという事でヒットしたのがこの課題曲でしたね・・

僕は一応ハリウッドMIで其れなりに音楽を学んだのもありますが、そもそも音楽的にはジャズフュージョンは好んで聴いてましたからイメージで何とでも弾けるので、パッと思いつきで作った課題曲でした。

 

とまぁ40歳手前でまさかの『超絶』という看板を背負う事になり、そこからイバラの超絶街道まっしぐら!という感じで10年過ごしてきましたね。

 

プレイのスピードも音数もより増す方向で年を重ねるという・・地球というか人類の法則に逆らって生きて来た40代には沢山の出会いもありました。

 

今や代名詞ともなった僕のトレードマーク、人生を語る曲『OPUS#1』も40歳の時初めてライブで演奏したのでまだ10年もたっていないんです。

というわけで昨日のブログにも書きましたが、僕は40代の10年がまさに一般的な20代のごとく馬車馬のようにあらゆるイベントやライブをこなすことになりました・・この活動に拍車をかけたのは間違いなく父がガンになり、余命宣告をされつつ手術を行ったものの最後は自然の成り行きに任せてこの世を去ったという2011年~2013年の流れが大きく影響しています。

 

この時僕は猛烈に焦ってしまいました、というか始めて音楽をやってきて後悔したかもしれません・・要するに親父に音楽で良いトコロを見せてやれなかった!という後悔です。

 

売れなくてもいい、自分の好きな事をやりたいなどというのは物凄くワガママであって育ててくれた両親への感謝の欠片もないわけです・・元々仲は良かったのですが、とにかく恩返しがしたい!そのためには何としても名前をもっと世の中に広めねば!という気持ちになり一生懸命自分が出来る限りの活動をしました。

ふるさと凱旋親子コンサート☆

最終的に歌手になりたかった父と地元高知で一緒に自主コンサートを開き、その後様態が急変し2か月後に亡くなりました。

ふるさと凱旋親子コンサート☆

僕は色んな事があるにせよ父親が世界で一番尊敬できる男だという思える環境で育てたことが何よりの幸せだと思っています。

 

父が亡くなってからより僕の運命は加速を早め、いきなりYOUTUBEを見たといってNHKの子供向け音楽番組の出演依頼がきたり、雑誌にも掲載される事が増えたり、全国楽器店セミナーは累計で300回以上を越える回数になるなど、体はかなり悲鳴をあげていましたがとにかく依頼された仕事は基本断らないスタンスで進み続けました。

ムジカピッコリーノ

ムジカピッコリーノ

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島村楽器錦糸町リヴィン店

ギターうちわも好評でしたね・・そろそろこの季節だし👍

人形作って貰ったり・・

44歳からキングレコードで再メジャーデビューして一気に作品を作ったり・・

フェンダーのマスタービルダーにギター作って貰ったり・・

オリジナルブースター発売したり・・

ESPではMIジャパンを引退した後もオリジナルギターでお世話になりっぱなしですし・・

デジマートでも沢山出演させて頂きました👍

ヤマダ兄弟とはほぼ旅行気分で台湾行ったり(笑)

電車でギター弾いてみたり・・

フェリーの上でもやってみたり・・

ブランコ乗ってみたり・・

高校生から夢見たマークボールズ氏と共演してみたり・・

全て自分の拘りを通しきったオリジナルシグネイチャーギターを発売してみたり(※FaceAppでケリーサイモン風にしておりますw)

 

まぁ色々あるんですが(笑)要するに何でもアリで何でも突き抜けている事が超絶だという風に認識して頂ければと思います。

 

でもまだまだ突き抜けられるというか全く突き抜けていない部分があるのです。

 

それは『心』ですね。

 

僕はこの閉塞的でやたらシガラミの多い日本という国にどうしても馴染めない日本人としてずっと悩み続けてきた部分があるんですが、結局それは人にどう思われるかとか面倒な事に巻き込まれたくないという事が先行してしまうが故に起こるつまらない事だと分かってきたのです。

 

それこそが自分の可能性を阻む一番大きな原因だなと感じる様になりまさに「それな」という事が明確になりました。

 

というわけでやっぱり真の超絶を目指すには50代からは心を解放する事が何より大切だと確信しましたので何でもやりたいことを迷うことなく挑戦していきたいと思います。

(続く)