母の日が来るたびに思い出すのは2013年5月12日、父が亡くなった日です。
この日は僕は台湾でイベントをしていたので最期を看取る事は出来ませんでしたがそれが僕の選んだ仕事だと思っています。
イベントが終了して打ち上げが終了し、夜ホテルに帰ったところで姉から息を引き取ったというメッセージを受け取りました。最後は自宅でという本人の希望でしたが僕の為に延命するため亡くなる数日前から入院したのですが間に合いませんでした。
父の病床にあったカレンダーには「四万十へ絶対に帰る」と書いてあり、車に乗るのが好きだった父は免許の更新日も記してありました。日ごとに付けている印も力の衰えが生々しいほどですが、それをこらえて必死につけていたのだと思います。僕が台湾へ出発した10日から入院して12日の夜息を引き取りました。
僕は23歳のとき兄を事故で亡くしていますが、その時はあまりに現実味がなかったのもありこれほどの感情になる事はありませんでしたが、父が亡くなったこの日からは当たり前に訪れる日々に感謝し、生きていることがどれだけ尊いものかを実感しながら、少しでも誰かの役に立てるよう努力を惜しまないと墓前で父に誓いました。
それからというもの、不思議なことにどこへ行っても天気に恵まれるようになり、これもすべて僕は父のお陰だと思っています。特に遺言には細かい事は書かれておらず、僕を褒め称えるばかりの内容でしたが(笑)父親の権限として一つだけ母を悲しませるような事だけはするなと書かれていましたので、出来るだけ母には楽しい時間を過ごしてもらえるよう努力しているつもりです。
まぁ何をやっても印象に残る男でしたが、こうして母の日に自分の命日をかぶせてくる所もさすがだなぁとしかいいようがありません(苦笑)
というわけで、これからも感謝の気持ちと謙虚な心を忘れずに頑張りますので、出来るだけ天候に恵まれるよう、僕の為にこれからもあの世で踏ん張って頂けると幸いです👍