かけないなヤッパリ(苦笑)


というわけで生々しい話が多すぎて書けない、というか書きたくないので自分がもう良いかなと思った頃に本でも出せるといいななんて思いつつ成毛さんとの簡単な思い出だけ書きます。


とにかく、古川さんに連れていってもらったのが成毛邸でそれまた赤坂のど真ん中にありまして・・この辺はオレより知ってる人も多いだろうしこれ以上いう事はないでしょう。そのときもオレははっきりいって色眼鏡でみていたのであまりよく思ってませんでした・・まぁ要するに貧乏人のヒガミですがw


多分最初にあった時は高井(寿)さんもいました・・ちょっとした同窓会みたいな感じになったのかなオレ以外は確か・・まぁ最初に応接間に招待してもらった時思ったのはなんと可愛いお茶目なおじさんが・・イメージが違う!!という感じでした・・正直ヤナ感じの人を想像してたので。


そして「初めまして成毛です」とまたこれ喝舌のいい張った声でいわれました(ラジオのリスナーならすぐ分かると思うんだけど)・・オレはどうも、ケリーといいますとだけ言った気がするんだけどね。


で成毛さんといえばディナー・・そうなのです・・成毛さんは自宅で殆ど食事をしないので晩御飯は毎日色々とお出かけして食事してました、初めて行った日は確かテレビでもお馴染みの中国飯店だったとおもいます。そこでも驚いたのが、成毛さんのカッコがなんと・・スキーで着るようなヤッケみたいなのと帽子・・そしてウエストポーチ・・なんとヘタすると街にいる仕事のないおじさんのようなカッコだったのでビックリしました(苦笑)


そして餃子の王将とは違う金額の中華を心ココにあらずで楽しんだ後、成毛さん宅の母屋とは別棟にあるスタジオに移動、そこで初めて引かされたアンプがFLIP5000でした、成毛さんが殆ど自腹で開発費を出して自分の理想のアンプをという事で開発したものということで、そこには古川さんが貰った1959のみならずソルダーノとか一杯良いアンプが転がってたのを覚えています・・そして


「なんか弾いてみて」ってあの声でいわれたわけです(苦笑)・・えぇ・・なんかってこんな知らんアンプで何を弾けばいいの?と思ってたらトリロジーやってよ♪とか明らかにギターキッズのような事をいうので弾こうとすると思った以上に弾きづらく・・えぇ・・この音で・・と思いましたが、持ち前の人生経験を武器に出来る範囲でなじませつつ、あったまってきた時に暴走するという正にオレの人生の勢いでプレイしたところ無事喜んでもらえたのです。


他の人はともかくオレは初めてでいきなり弾かされてたまったものではありませんでした・・なんとか無事に済んだと思ったら次は「ケリーコレいる?」・・え?みたいな。


冗談かと思って「そりゃもらえるならほしいですけどね」といったら「OK、住所教えてね」といわれ一週間後には送られてきました(苦笑)・・なんて人でしょう今考えると(笑)・・そのときも言われたのが「このアンプは貰ったと言わない方がいい、僕のファンはいろんな人が居るからケリーがかわなくてもいい嫉みをかうかもしれない」というメッセージが入ってました、本当に心の優しい大人の人だったのです。


オレはいつもいってますが、この歳になって大人ってのがいない事が悲しいのです・・今までオレが本当に大人だと認められたオトコはオヤジと高校の先生と成毛さんぐらいなのです・・何が基準かといわれたら答えは簡単「自分の発言に責任を持っている」所です。成毛さんはラジオでもバシバシ言いたい事をいってるように思われてたようだし、業界でもかなり煙たがってる人もいたりしたようですが、そういう人達は結局自分にない純粋で正直なものを持っていた彼に嫉妬していたのだろうとつくづく思うのです。正に同じ目にあってるオレとしてはこれだけは間違いないと思ってます。


ラジオの事でも話した事があって言ってました「ケリー、リスナーは曖昧な答えではついて来ないんだ。ハッキリ言い切ることが大切」だとも・・ラジオでは日本人をクソミソに貶し、イフェクターをボロクソにいい、シールド一本で勝負という文句を流行らせ、エルボーピッキングを愚の骨頂のようにたとえていたのは全てそういう白か黒かでの白だという答えを分からせる為だったという事です。


特に玉虫色の日本人には必要な事だったのでしょう・・なんせオレなんてそもそも聴いてなかったし・・成毛さんに言われる前からもうヤングギターに洗脳されてw「日本人は高崎晃のみ!あとはいらん!」って本気で思ってました(笑)でもその真っ直ぐな気持がココまで来られた要因だったと今は思います。


要するに大人になれば自分で判断できるようになるのでその時分かればいいという事です・・かわいそうなのは今の若者は小さい時から選択肢が多く、1つに絞れずにいます・・だから迷い悩んで余計に他人が気になり、自分が少しでも外れてると恐れるのでしょう、音楽学校だけど自分が教えていてやはり環境というものは小さい時にこそしっかり整えていないとまずい事になると思い知らされます。


成毛さんにはオレが認めざるえない「行動力」がありました・・ウッドストックを自分の足で見に行き、ベンチャーズの楽屋に入ってライトゲージの弦を日本で普及する前から使い、PAシステムを日本で始めて組んでライブをしロンドンに留学してレコーディングをする・・そんな日本人がいますかね・・もう凄すぎて認めざるを得ませんでした。


そして彼は有名な家系の孫ということで、何をやっても金持ちだからといわれてきたはずです・・でもそんな事が馬鹿げている事もよくわかりました、成毛さんは学生の頃からスタジオミュージシャンをして生計を立てていたようだし、なんせ父上にはギターを叩きおられるぐらい反対されてたようで、応援してもらえるはずがないですからね。それに比べたらオレなんて普通のサラリーマンの家庭ですが、音楽で反対されたことなんて一度もないわけで、肉親の心の支えほど力強いものはないですから考えようによってはオレの方が恵まれてるといっても良いぐらいです。


ベンチャーズからシュラプネルまで進化した男、成毛滋が最後には日本で幾ら頑張っても無駄だといわれ続けてヨーロッパツアーから帰ったときも現実は厳しいね、という話をされてオレも参ってしまい一線から退く事になってしまったとき、オレは自分が音楽学校の先生をしている事が正直後ろめたくて成毛さんに連絡を取れなくなってしまった・・あれだけ色々応援してもらった結果が今の状態だと考えるとね・・そんな時古川さんから訃報を聞いた。


あれから二年たってしまったけど、なんとしても彼の意志を世界に繋いでいかないと申し訳なくて仕方がない。オレに出来る限りの事はこれからやりまくって色んなものを打ち壊して行きたいと思ってます。


機は熟したと感じている今これからはガンガン行かねばならぬ!!!!


というわけで教則本から地道にガンバリマス(笑)