今日は懐かしのヨーロッパツアーの映像でも紹介します。
※今より細い・・さらにいえばこのツアーで6キロ痩せました(苦笑)
1998年に自主制作のアルバムを出したらビックリするぐらい売れて(笑)その翌年成毛さんの紹介もあってロードランナーと契約してメジャーリリースを果たし、その後色々苦労して(コレが長い)2001年にフィンランドのライオンミュージックと既存のアルバムとニューアルバムの契約をしたところで、ヨーロッパツアーのオファーが来ました。
「グレンヒューズとジョーリンターナーのバンドのオープニングアクトの枠があるんだけど」ってことで・・決断するのに一週間しかなくて、もうヤケクソでOKしてしまいました(苦笑)
すべてが自分の責任だったので正直相当きつかったです(要するにプロダクションもなにもないのでね)メンバーが3人だからよかったものの、もう大変でした色んな事が(苦笑)
今思えば一番悔しいのが、今だったらもっと世界にアピールできたのにってことです。
2002年頃は幾らインターネットが普及してるとはいえ回線がアナログでどこへいっても大体ダイヤルアップの上繋がらない事が多かったです・・今なら携帯ですら海外で使えるものもあるしね。
なぜか日本のメディアからスケープゴートにあってるオレにとってインターネットが唯一の生命線だったんだけどね・・ホントきつかったです。
そして今となってはどんなバンドでも軽く海外なんていける世の中になったけど、2002年の時点で実際海外の人達が口にした日本のバンドはみなラウドネス・・それだけのモンなのですよ日本なんて(笑)
オレがLAにいた頃色々な有名な日本人もいたけどライブすれば殆ど客が日本人だったのと同じというか・・だからオレはキャリフォニァを離れました。
でもやっぱりオレは海外しかないんだよね・・今更日本で売れたいなんて本気では思えないDEATH。
日本盤よりもユーロを含む海外版のほうが枚数的にはもう越えてしまったかもしれないぐらいだし・・
というわけで今年から世界のKellySIMONZに本格的に再挑戦します☆