以前初回した杉並区立桃井原っぱ公園。
ここは大正14年(1925年)に、
ゼロ戦のエンジンなどを作った中島飛行機の工場が開設した場所です。
昭和20年(1945年)には富士産業、
昭和25年(1950年)に富士精密工業、
昭和36年(1961年)にプリンス自動車工業と名前を変え、
昭和41年(1966年)には日産と合併して日産自動車の荻窪工場が出来ました。
あのカルロス・ゴーンが日産リバイバルプランの一つとして工場を売却し、
平成10年(1998年)に群馬県の富岡に移転するまで、
この公園を含む広大な敷地には大きな工場の建物が連なっていました。
公園の南西の青梅街道沿いには日産プリンス東京荻窪店があります。
日産の工場があったことを偲べる唯一の場所のように思います。
この一画に、日本のロケット第1号の碑があるのですが、
いつも素通りしてしまうので、久しぶりに見に行きました。
日産プリンスさんの敷地内なので、入っても良いのかと様子を見ると…。
あれ? 左手にあったはずの碑がない?
位置をずらしたとか?
そう思って歩道から別の角度で見てみましたが、草地になってしまっており、
またその草の中にも碑らしきものはありませんでした。
碑は撤去されてしまったのかも…と、1年以上も思っていたのですが、
先日、意外なところで発見しました。
それは桃井原っぱ公園の中にありました。
この前もよく通っていたのに、全く気づかなかった
南西から続くプロムナードの右手にあります。
掲示板の隣という、目につきやすい場所なのに、気づかなかったとは…。
2つ並んでいる碑の右側は旧中島飛行機発動機発祥之地の碑。
昭和62年12月10日建立とあるだけで、何の説明もありません。
当時、まさか日産がこの地を売却し、
防災公園になるなんて思っていなかったでしょうから、
自分の企業の基礎となった会社の説明は要らない…ということだったのかも。
今更ながら、ゴーンって碌でもないヤツだったなぁと思います。
右側の碑はロケット発祥之地の碑。
昭和28年(1953年)、富士精密工業は東京大学生産技術研究所
(現:文部科学省宇宙科学研究所)の指導を受けてロケットの開発に着手し、
昭和30年(1955年)にペンシルロケットの初フライトに成功しました。
このロケットが日本第1号のロケットということで、
この碑に、そのペンシルロケットの模型が収められていたはず。
あ~…。
水滴が付いちゃってて、中は全く見えなくなっていました。
よ~く目を凝らしても、全く見えませんでした。残念。
こちらの碑は平成13年(2001年)11月の建立のため、
日産の工場が移転いたことにも触れられていました。
だったら、国産ロケット第1号のことだけでなく、
国産飛行機用エンジン第1号が生み出されたことも記して欲しかったかな。
でもまあ、無くなったと思っていた2つの記念碑が
公園内に移転していたことが分かって良かったです。
ついでに、少し珍しいものもご紹介。
それはこちらのベンチとスツール。
このベンチ、いざという時にはかまどになるのです。
ベンチの下にレンガのようなものが積まれているのが分かりますか?
そしてベンチの左右にあるスツール。
こちらはかまどになるそうです。
防災公園なので、マンホールがトイレになるものや、
こういうものが設置されているのですね。
使うような事が起きると困りますが、
いざという時のために備えられていると知っていると安心しますね。
今回のおでかけ
★杉並区立桃井原っぱ公園
住所:東京都杉並区桃井3-8-1
電話:03-3312-2111(都市整備部みどり公園課管理係)
駐車場:なし
公式ウェブサイト:杉並区立桃井原っぱ公園(杉並区)
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