東京散歩・ 道場寺 | ゆるゆるな毎日

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水曜どうでしょうやマンホール、キリスト看板などの趣味に走りすぎた日々を綴っています。

2年前の初秋、道場寺さんへ行きました。

山門前の鉄扉がきっちり閉まっていたので、

 

お参りできないのかなと思ったのですが、

 

車が入れる門が開いていました。

 

恐る恐る入ってみると、

 

境内の落ち葉をブロワーで集めている方がいたので、

 

お参りして良いか聞いてみたところ、「いいですよ」とのこと。

 

お掃除のお邪魔にならないように、サッとお参りさせて頂きました。

 

確か手水舎のお水は止まっていたので、そのまま参拝しました。

 

 

奈良の唐招提寺を模したという本堂です。

うん、確かに似ています。

 

こちらは応安5年(1372年)、この地を納めていた豊島景村の

 

養子の豊島輝時が開基となって創建されたお寺で、

 

豊島山無量院道場寺といい、豊島氏の菩提寺になっています。

 

建立当時は臨済宗でしたが、のちに曹洞宗に改宗したそうです。

 

輝時は鎌倉幕府第14代執権・北条高時の孫で、

 

父は高時の次男の北条時行。

 

鎌倉幕府が滅亡し、敗走した時行は景村に匿われ、

 

景村の館で一子をもうけたものの、

 

その後の戦で北朝方に捕らわれ、殺されてしまいました。

 

嫡男のいなかった景村は残された子を養子とし、

 

元服後は輝時と名乗らせて豊島家を継がせたと伝わっています。

 

ただ、豊島家に匿われた時の時行は3歳、または10歳だったそうで、

 

そうなると子を成せたのかな?というような疑問が残り、

 

伝承や説という扱いになっているそうです。

 

ただし、道場寺さんには寺税を課さないと書かれた

 

「北条氏康印判状」があり、練馬区の文化財に指定されています。

 

豊島家の姓が山号になり、

 

北条氏の名前のある書状が残っているとなると、

 

全部が伝承ではないような気がします。

 

勝手な推測ですが、匿った時行こそが輝時と考えた方が

 

無理がないような気がしますが、そんな説はないようです。

 

 

なんて…、

 

お掃除の邪魔にならないように、ここでのんびりそんなことは考えず、

 

急いで境内を見学させ頂きました。

 

 

本堂のガラスに貼り紙があったので、近づいて読んでみました。

コロナ禍なので

 

御朱印は事前に用意した紙面を配布しますとありました。

 

お寺さんも大変ですね。

 

御朱印巡りを楽しんでいるブロ友さんが何人もいらっしゃるのですが、

 

ほとんどの方は感染者数によって御朱印巡りを中止されたり、

 

県境を跨がない寺社へのお参りに切り替えられたり、

 

公共交通機関を利用せず、自家用車やレンタカーで行かれたりと、

 

苦労して回られているようです。

 

ただ、せっかく行ったのに御朱印中止というお話を聞くことがあります。

 

御朱印中止は寺社側も、苦肉の対策なのかもしれませんが、

 

楽しみに行かれた方にとっては残念でしょう。

 

こうして配布して下さるのは有難いでしょうね。

 

 

反対の扉の貼り紙も読んでみました。

最近、お寺で放火事件があったと書いてあったので仰天。

 

警察が捜査中と書いてありましたが、あれから1年以上経ちますが、

 

犯人は無事に捕まったのかしら?

 

 

本堂の近くにはこんな可愛い看板。

武蔵野第2番納経所と書かれていました。

 

後で調べてみたら武蔵野三十三観音霊場の2番札所でした。

 

 

鐘楼。

安土・桃山洋式だそうです。

 

色々な時代の建物がこの境内で見られるのが良いのですが、

 

何しろ清掃中だったので、ちょこちょこっと見ただけでした。

 

 

でもこれだけは見忘れちゃいけない三重塔。

色づきはじめたカエデ越しになりましたが、

 

これはこれでいい写真が撮れましたもみじ

 

清掃していた方にお礼を言って退散。

 

 

ちょっと心残りだったので、塀の外から三重塔を見て帰ることに。

角にお地蔵様がいました。

 

今まで気が付かなったなぁ。

 

 

三重塔は鎌倉様式だそうです。

すぐ再訪しようと思っていたのに、

 

コロナが収まったらと思いつつ、もう1年以上経ってしまいました。

 

暖かくなって、コロナ感染者数が落ち着いたら再訪したいなぁ。

 

 

 

 

今回のおでかけ

★豊嶋山無量院道場寺

  住所:東京都練馬区石神井台1-16-7

  電話:03-3996-0015

 

 

 

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