群馬県多野郡吉井町(現:高崎市)のマンホール | ゆるゆるな毎日

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水曜どうでしょうやマンホール、キリスト看板などの趣味に走りすぎた日々を綴っています。

こらちも水曜どうでしょうキャラバン2016in群馬への

 

道中で撮影したマンホールです。

 

平成21年(2009年)6月1日に高崎市に編入された

 

多野郡吉井町のマンホールです。


群馬県多野郡吉井町(現:高崎市)のマンホール真ん中に国の特別史跡に指定されている多胡碑覆屋、

 

左側に町の木「ケヤキ」、右側に町の花「サザンカ」がデザインされ、

 

下に「よしい」、「おすい」の文字が入っています。

 

 

群馬県で小学生時代を過ごした方は、

 

多胡碑と言えば上毛カルタの「む」の

 

  「昔を語る多胡の古碑」

 

を思い出されるのではないでしょうか?

 

 

多胡碑は吉井いしぶみの里公園内にある四角柱の石碑で、

 

マンホールにデザインされている建物の中にあります。

 

石碑は奈良時代の和銅4年(711年)3月9日に

 

多胡郡が設置されたことを示す碑です。

 

 

碑には

 

  弁官府上野國片罡郡緑野郡甘

 

  良郡并三郡内三百戸郡成給羊

 

  成多胡郡和銅四年三月九日甲寅

 

  宣左中弁正五位下多治比真人

 

  太政官二品穂積親王左大臣正二

 

  位石上尊右大臣正二位藤原尊

 

と刻まれています。

 

 

意味は

 

 

弁官局からの命令により、

 

上野国の片岡郡、緑野郡、甘良郡の3つの郡の中の

 

300戸を分けて羊に支配させ新しく多胡郡とする。

 

和銅4年3月9日甲寅

 

左中弁 正五位下・多治真人、太政官 二品・穂積親王、

 

左大臣 正二位・石上尊(石上麻呂)、

 

右大臣 正二位・藤原尊(藤原不比人)

 

 

となるようです。

 

最後の名前は当時のお役人さんたちですし、

 

文章自体も大体意味が分かります。

 

ただ一つ、「羊」の意味がどうしても分からないので調べてみました。

 

昔からこの「羊」については色々論争があるのは知っていましたが、

 

どうやら最近は渡来人の「羊」という人名という説が有力のようです。

 

となると、「羊に支配させる」が正しい訳なのかも?

 

 

そしてこの碑の中に出てくる「甘良郡」は

 

水曜どうでしょうキャラバンもやってきた現在の「甘楽郡」でしょう。

 

漢字は「甘良」から「甘楽」に変わっていますが、

 

奈良時代の名前が当時の都から遠く離れた群馬に

 

現在も残っていることに改めて驚きました。

 

 

大人になってから古碑についてしっかり学ぶと、

 

色々と気づくことも多いですね。

 

高崎市内にはこの多胡碑のほかに

 

同じく国の特別史跡に指定されている

 

山ノ上碑、金井沢碑の2つの碑もあって、

 

上野三碑とされています。

 

これらも子供の頃に習ったのですが、

 

今だったらもっと興味深く学べそう。

 

子供の頃と言えば、

 

私の子供の頃は非公開だったと記憶している多胡碑ですが、

 

現在は周辺が整備され、記念館などもできたそうです。

 

もう少し早く知っていれば見に行ったのになぁ…がーん

 

吉井いしぶみの里公園へは、

 

次回以降の帰省の際に行ってみたいと思います。

 

 

 

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