最近、身近な人が立て続けに亡くなってからというもの、お墓へ立ち寄る機会が増え、
そのせいか、お化けとかの類は苦手だった弱い心が少しだけ吹き飛んだよう。
ツェルマットの街中で、綺麗に整備されたお墓を見つけました。
ここに眠る人達は、残された家族や知人達に見守られ、いつでも花が可愛らしく飾られていて、遺族の哀しさと優しさ両方の心が感じられ、眺めているだけで不思議と落ち着きます。
自分が死んだ後まで、お墓という形で、残す家族の経済的負担になっては申し訳ないと、
灰にしてそこら辺の森へまくか、海へ流してくれれば十分、と考えていたのだけれども。。。
残される人にとって、形あるものが無くなるのはとても辛いこと。 お墓へお参りする度に、自分自身の心が落ち着くのも実感し、経済的負担よりも精神的負担を考える今日この頃。 お墓という見える形で悲しみの心を埋めているのかな、と思う事が多くなりました。
そんな時、主人が何気に一言。
「教会にお金を納める?」と聞いてきました。
毎年、お金を納めるということは、お墓も建てられるということ。 死後の事など深く考えもしなかったのだけれども、主人の言葉に、いつか訪れる「死」に対して残す人々への準備も必要かな、と考えるようになりました。
まだ「死」は、遠い未来のようでもあるけれど、
少しずつ、少しずつ、近づいているのは感じられます。
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