わたしは幼い頃から、見えない世界に慣れ親しんできた人間ではない。

 

ここ十年ちょっとくらいは、凝縮して色々な体験をさせてもらってきているけれども、今でも、受け取ったものに、顕在の私がびっくりすることもあるし、戸惑うこともあるし、初めてのパターンが来ると、どう解釈すればいいのか分からない、どう対処したらいいのか分からないときもある。

 

 

以前、ライブのチケット当選のお知らせメールが届いて読んだ時に「あれ…?チケット当選したけど、なんか、行けない気がする…」と感じたことがあり、その後しばらくしてから、メンバーの怪我でツアーがなくなったということがあった。

 

別の時にもまた「中止になりそうな気がする」と感じ、その時は、会場に向かう新幹線に乗っている最中に、公演中止のお知らせを受け取っている場面も浮かんだ。

コロナが流行していたので、もしかしたらスタッフさんの中にコロナ感染者が出るのかなぁなど想像していたが、結果的にはメンバーのコロナ感染によって公演中止になり、浮かんだ場面の通り、移動の最中にそのお知らせを受け取った。

 

この二つの出来事のようなことは、私の中で初めてパターンの経験で、実際そうなってみるまでは、感じたものを真剣に受け取ってはいなかった。

 

実際、こういう体験をしてみると、色々と疑問がわいてきた。

 

なぜ前もって、数か月先の出来事が分かるのだろう?

見えない世界では、もう数か月先の出来事まで、しっかりスケジュールが組まれていて、その通りに進んでいくということなのか??

だって、まだ今、怪我もしていない人が、この先、怪我をしてツアーができなくなることが分かっていたからお知らせが来たんだよねぇ…?

移動の最中にお知らせが来ることが決まっていた、分かっていたから、その場面を見せたってことなんだよねぇ…??

そんなに先のことまで分かるの?決まってるの?

それはもう変えられないの??

と、私の中にはクエスチョンがいっぱい浮かんだ。

浮かんだけれど、確認をしてみることもせず、そのままになっていた。

 

そして、今年、新作アルバムを手にして、ジャケットを見たり、歌詞を読んだりした直後に「これが遺作になったらいやだなぁ…ならないでほしい…」と、急にそんなことがよぎった。よぎったものの、嫌なので、すぐさまかき消して、自分の中でなかったことにした。

 

それからどのくらいあとのことだったのか、覚えていないけれど、今度はメンバーの遺影の写真と葬儀のお花が並んでいる場面が一瞬見えて、なんか今すごい嫌なものを見たと思い、また急いでかき消して、なかったことにしようとした。

忘れようと思って、みえたことも本当に忘れていた。お知らせが来るまでは・・・

 

思い返すと、一つ、気にかかっていたのは、遺影の写真が最近のお顔だったこと。

けれど、いつかは必ずそういう時が来ると、みんなどこかでわかってはいるから、何年も先にそういう時が来た時に、若い頃の写真を使っているのだろうと思った。

そう思いたかったから、そう思い込んだのかもしれない。

みえたものを、それ以上、追及することもしなかった。

 

そして運命の時が来た。

コロナ感染のお知らせを受けた時には感じなかった、胸のざわざわと、「お願い、死なないで!」という強い思いが湧いて、願って祈っていた。けれど、届かなかった。

 

自分の中で、納得をしていきたい気持ちもあって、寿命だったのかどうか、自分なりに探ってみることにした。

人が死を迎えるタイミングは、寿命の通りか、寿命よりも早いか、寿命よりも遅いか、このいずれかになる。

探ってみて感じたのは、もともとの寿命はおよそ1年前だったのではないかということだった。56歳8か月という数字が浮かんだので、もしかすると本当はそこまでの寿命だったのかもしれない。けれど、これまで多くの方々を、支えて、助けて、救ってきた功績を、見えない世界の方々が認めて下さって、約1年、寿命を延ばして下さったのではないかと感じた。

 

35周年の締めくくりを、地元で、愛するお母さまとの思い出もある場所でしっかりとやりきって、集大成を見せて、それから、しばらくご家族や猫ちゃんたちとゆっくりする時間を持てたのかなぁ・・・ そして、次へと向かうそのタイミングで、愛する人たちに顔を見せて旅立つ。そのような流れになっていたのかもしれない。

あくまでも、かもしれないであって、何にも確証はないし、これが絶対だなんて、言うつもりもない。自分の中で、こうだったのかなと、納得がしたいだけだ。

 

 

何のために感じ取ったのか、その答えはいまだに分からない。

何か意味があったからこそ、お知らせが来たのだろうと思うけれど、今のわたしには、その答えは分からない。

 

でも、頭の中でかき消して、いくらなかったことにしようとしてもだめなんだな・・・ということは、今回、よく分かった。

 

でも、そういうお知らせが来たとしても、どう解釈したらいいのか、どうすればよかったのか、わからないよ、まだ・・・。

 

この自問自答はまだしばらく続きそうだ・・・。