放射能や 放射性物質が ただの ” 危険な存在 ”

だとは、 どうしても おもえない。



こういう状況に ならなければ、 人間が 原発 依存からの

自立を かんがえたり、 政府や 組織の 在り方を

見つめ直したり、 畜産や 漁業といった 他の 生きものの

命を ぎせいにした うえでしか 成り立たない 仕事からの

方向転換を かんがえたりは、 なかなか できなかっただろう

と おもう。



野菜や 果物を 育てている 方々に おいても、

もし それらが これからの 時代には お休みされる

種類のもので あれば、 遅かれ早かれ 転換を 

せざるを 得ない 時が くる。



そういった 食を 支えてきて下さった 方々の お陰で

わたしも これまで たくさん おいしいものを 

たべさせて いただき、 育てて もらったので、

なるべくなら、 すこしでも スムースに 

進んでくれればよいと おもう。



今日も おじいちゃんと おばあちゃんに お寿司を 買って

もっていったら、 とっても 喜んで 食べてくれていた。


そういう 喜びや 幸せの 瞬間を 

たくさん 支えてきて下さった 方々。



だから よけいに、 ルールや 時代の 変化を 知って、

変化に 合わせた、 これからの 時代の 幸せを 

手にして 頂きたいと 心から 思うし、 

これからの 時代の 幸せを 担って 頂きたいと 思う。




かならず、 プラス・マイナス、 両方の 側面があり、

それは 見る人の 立場や 視点が ちがえば、

真逆にも なりうる。 


休まれていく側、 創造を 担っていく側、 

人間という 立場、 動物という 立場、 植物という立場、

神という立場、 全体を司る 存在という立場、 そして、

各々の 役割、 それらは やはり それぞれに ちがうはず。


でも、 おおきな ひとつの 流れの中で うごいている、

うごかされている、 ということだけは 確実だと 思う。


やっぱり 全て 必要だから、 起きている事なんだと おもう。