きょうは おばあちゃん家に 行った。


いつもは、 事前に れんらくして お弁当を 

三人分(おじいちゃんの分も) 買って 

お昼ごはんを いっしょに食べて、 おひるねして、

起きて しばらくしたら お茶のじかんで・・・ 


という 流れなんだけど、 今日は ひょっこり 遊びに行ってきた。



今日は わたしが まだ 聞いたことなかった話を 二人がしてくれた。



わたしも 以前 すんでいた その辺りは むかし、 

ぜんぶが 海だった! ということ、 


土井をつくって すむ土地を 開いたから、 ~開 

という 地名が 多いということ、 


むかしは 水道なんてなくて、 リヤカーに タンクを 二つのせて、 

それをひっぱって 歩いて 川まで 水を 汲みに 行っていたということ、 


すぐ近くの川は、 泥で にごっていて、 おばあちゃんの 生まれ故郷の 

熊本の方は 水が とってもきれいだったから、 よけいに おどろいた! 

ということ、 それでも ふしぎと 月に二回、 潮の 満ち引きの加減で

(満月と新月かな?) すんだ水が あらわれて その時は かめに 

いっぱいになるまで 水をすくって いたこと、


そのうち ようやく 川向うに 一つだけ 水道ができて、 皆が

お金を払って 水を 分けてもらっていたということ、



日本にも そういう時代が あったんだろうとは おもっていたけど、

そんなに 最近だったとは 夢にも おもわなかった。


「昔の人は 苦労してきとっとよ。」 と おじいちゃんが いったけど、

ただ ただ ほんとに その通りだと うなずくばかりで、 

ちょっとや そっとの ことばじゃ 軽すぎるような気がして、

あまり なにも 言えなかった。


おじいちゃんや おばあちゃん、 おとうさんや おかあさんが

たえまなく してきてくれた 苦労の上に 

今の自分が 生きていられることが

ものすごく 身に 沁みて・・・ 心に 沁みて・・・



あたらしい 時代に なっていくこと、 それも すごく たのしみ。

だけど、 心の中には、 ずっと、 この人生が おわるまで、

ううん、 この人生が おわったあとも ずっと、

終わりゆく時代を 支え続けてきた 方々への 感謝の 心は

わすれないで 持っていたいと おもった。



帰りぎわ、 おばあちゃんが アサリを すこし 分けてくれた。

まだ 生きていたから、 申し訳ないやら かわいそうやらで

お札を さきに 一枚 つかってみた。 これで、 調理の時、

アサリさんが 熱い!! くるしい!! って おもわないで 

いてくれたんなら いいけれど・・・・



人間は 地球上では いちばん 進化した 生き物だけど、

常に まわりの 多くの命に 支えられて 生かされてきたんだ

と いうことを、 たくさん たくさん かんじた 一日でした。