「取」とは、執着することである。執着することがないということは、今に全機を心がけて、刹那に精一杯生きることである。演繹的な発想で、未来の「有」を思い描いて、先の「老死」を顧みずに、煩悩や苦の除去に執着するのではなく、帰納的に、イベントドリブンに、その瞬間の最善を尽くす生き方である。

 

そうすれば、一瞬即永遠というか、老死をもコントロールして、有ではなく、刹那 x 無限回という有限を無限に転ずる力があるかもしれない。

 

「取」をなくす必要もなく、なくすことは難しい。菩提心も一種の執着であり、菩提心があるから涅槃が見えるわけで、無作の作の精神で、執着して、有にこだわるが、それを「取」をコントロールして、結果として「有」をコントールする力に費やせばよいのである。