(抜粋)
インフレ、と来れば、誰もが知っているエピソードとして必ず語られるのが、かの有名な第一次大戦後のドイツの天文学的なインフレであり、この時期にはスーツケース一杯の札束をもっていくと喫茶店でようやくコーヒー一杯が飲めたなどという話は、良く知られている。そしてこれは、コーヒーが値上がりしているというより、むしろ札束の値打ちが際限なく低下しているのである。

では一体なぜドイツではそんなことが起こったのだろうか。その根本原因は第一次大戦の戦勝国たる連合国側が、敗戦国であるドイツに非現実的な賠償金を課したことにある。

一般に戦時経済というものは爆発的なインフレの温床となりやすいものである。政府は戦争を続ける限り、国庫の中から莫大な戦費を捻出せねばならない。税金でまかない切れなくなれば国債発行という、いわば国家の借金に頼ることになるが、いよいよそれでもまかない切れなくなり、国庫が完全に空っぽになれば、最後の手段として紙幣増発という非常手段に訴えねばならない。

これはもう政府が偽札作りをやっているに等しいのだが、戦争ともなればそんなことは言っていられない。

ドイツは戦時中からすでにこういう紙幣増発と貨幣価値の下落という悪循環に首までどっぷり漬かっていたのだが、そこへもってきて到底支払える見込みのない天文学的な賠償金を課されたからたまらない。

(コメント)
スコップで庭から土を掘り起こす。スーパーに行って土と肉を同じ重さ分交換してくれと言ったら応じてくれない。なんでか?土はどこからでも掘り起こせるから価値がないのである。

(もしかしたらマンション住いで土を保持していない人にこれはブランドの土だとかいったらとり合ってくれるかもしれない。)

要はお金が土化するまたはその傾向をインフレというのだろう。

戦時に相手に賠償命令といってたくさんのお金を要求したようだが、お金をお金たらしめる、要は希少価値を保持する範囲内でないとたくさん要求しても意味ないのだろう。
(抜粋)
今まで複雑だった物事を「単純化・直線化・フラット化」することによって新しい製品や消費活動が作り出されていたということであり、特に米国の資本主義社会を見るとそれが端的に現れている。要するに物事をダイレクトにすることで効率化を図り、均質化して量産を推進することが基本的にそれらの利益を生んできたということである。

社会にせよ人間にせよ、直線化することで健全な経済的利益を生み出せる部分というものはもともと限られた量しか存在しておらず、その意味では資本主義は決して「無から有を生み出してきた」わけではないと言える。

そう考えると、かつての良き時代の大衆消費社会は、幸運にもそういう未開拓領域が手付かずで大量に眠っている状態にあって、それを掘り起こすことで富を生み出してきたということになりはしないだろうか。

そうだとすれば、もしそれらを掘り尽くし、世の中の全てがその限界に達したとするならば一体どうなるのだろう。

その場合には、もはやそれ以上の新市場創出は、文明社会が自分の体を破壊することでしかなし得ないという宿命に陥りかねないのである。( 厳しい見方をするならば、I T 自体がすでに社会的影響という点で一部、その禁断の領域を侵しつつあるとも解釈できるかもしれない。)果たして現在、米国や世界の資本主義社会の「新需要開拓」はその壁に差し掛かりつつあるのか。それは経済社会の将来を占う大きな鍵の一つなのである。

(コメント)
ITでのグローバル化のことの見解についてのようだ。
健全な経済的利益は限られているとはどこのことなんだろう?
よくわからないが7章読めばわかるとのこと。