平成30年8月の交野市長選挙の直前に「地域の移動手段の確保」と記載して配布した黒田実前交野市長は、平成31年4月には京阪バスに「ゆうゆうバスの廃止」と記載した通知を出しました。
 令和2年ごろ、星友クラブ(老人会)連合会等や他の交野市議会議員4名(敬称略 松村、皿海、藤田、北尾)は、ゆうゆうバスの廃止に反対する運動を展開していました。しかしながら、反対署名を人口比で最も多く集めた私市山手地区は、なぜか途中で反対運動をやめられました。残存なことに、私市山手地区の住民は、そのことを知らされていないようです。そのため、今でも外出支援を求める私市山手地区の住民から要望を聞くと、反対運動をやめたことを知らないので、私は、いたたまれない気持ちでいっぱいになります。
 令和3年度、なぜか住民が知らない中ゆうゆうバスの廃止反対運動をやめた私市山手地区は、自分たちで外出支援を取組むために交野市から補助金を受領しましたが、うまくいっていません。
 令和4年9月、ゆうゆうバス廃止を強行した黒田実交野市長は落選し、私が交野市長として就任しました。なお、私は、コミュニティーバス等導入を選挙公約としておりましたが、私市山手地区はなぜか住民が知らない中ゆうゆうバスの廃止反対運動をやめて自分たちで外出支援を取組んでいることから、その路線図から私市山手地区をはずしました。
 令和5年6月、私は、交野市議会にて、私市山手地区の外出支援について一般質問を受けました。私は、正直に私市山手地区が途中でなぜか反対運動をやめたことや、それでも、私市山手地区住民に反対運動をやめた経緯を説明し、その上で私市山手地区が要望するなら対応することを答弁しました。
 令和5年7月ごろ、片岡市議は、議会事務局職員から作成中の議事録3ページを入手し、無許可で、私市山手区長等に渡しました。なお、私が議員時代に作成中の議事録を求めた議会事務局職員は拒否していました。当然、議員として許されることではありません。無許可で議事録を入手した私市山手地区のある人物は、私市山手地区が途中で反対運動をやめたことが真実であるにもかかわらず、流出した3ページのうちの2ページのみ(私市山手地区が途中で反対運動をやめたことを記載)を持参して、交野市企画財政部秘書政策課に議事録の削除や私への面会を求めました。結果、交野市企画財政部秘書政策課の業務を滞らせました。片岡市議による無許可での議事録流出がなければ、このようなことはありませんでした。また、流出した3ページのうちの2ページのみを持参しましたが、他のページを誰が欠落させたか不明です。
 令和5年7月7日、私は、片岡市議への面会を求めたものの、片岡市議はなぜか断わりました。そのため、片岡市議に書面でこうしたことがないよう激しく抗議しました。ルールを破って、市の業務を滞らせるのは議員のやることではありません。なお、片岡市議は、現在は不明ですが、過去から私の携帯電話番号を着信拒否しています。