鈴木康博ライブレポート | 若宮桂のブログ・空と海がぶつかる場所

12月4日日曜日。

 

この日は、いつもの移動支援の仕事が無い日でしたので、映画を1本観てから鈴木康博さんのライブを観に行きました。
15時半と、ちょっと早い開場時間。
会場は、10月31日にかえる王国のライブを観、れーなさんと出会った、博多区中洲の S.O.Ra. Fukuoka。

 


 

(※前半セットリスト)
一億の夜を越えて
でももう花はいらない
汐風のなかで
夕焼け
自由といっても
Words for You
縁もゆかりも
ライフスタイル
光りある日々


毎年福岡へ来てくださるヤスさん。
昨年も、6月27日にこの場所でライブがあったのですが、その日は母が亡くなった翌日。
通夜の会場へ向かうタクシーのなかで、このお店へキャンセルの電話したのを憶えてます。
日曜日に4件もあった仕事も今は移動支援だけに減り、時間もなにも気にせず観ることができます。

 

会場の後方からヤスさんが歩いてきました。
まずはギターチューニング。
1970年にデビューして46年になる。68歳。最初は学生の遊びのつもりで始めた音楽をこんな年まで続けるなんて夢にも思わなかった。
こうして続けられるのも観に来てくれる皆さんのおかげ、と話します。

 

最初はオフコース時代の3曲。今回は新アルバムのツアーなのでオフコースは最初にさっさと片づけちゃいますと話し、沸かせます。
ファンの方は意外に思うかもしれませんが、自分はヤスさんのライブを何度も観てきたのに、この「でももう花はいらない」をまだ一度しかステージで聴いていません。その「一度」は、2011年に神奈川県の横濱まで遠征して観に行ったバンドライブの時です。
目前の生演奏がよかった。今回は全曲アコースティックギター弾き語りでした。

 

オフコースとしてデビューしたけど、なかなか売れない日々が続いた。でも苦労したという感じはなかったと話します。
ずっとB面人生だったとも話し、オフコースとして最初の大ヒット作となった「さよなら」のB面収録の名曲「汐風のなかで」。

 

次は「夕焼け」。この曲好きだな。
先月発売になったばかりのCD「Another Serect+」について。2013年に、ソロデビュー30周年を記念して30曲選びCD「Serect30」を出したけど、その時に選考もれして惜しいと思った曲10曲に、新曲2曲も収録したそうです。
リストラの話もありました。97、8年と話しておられたので、アルバム「Anyone」(BMG)のあと、インディーズレーベルを立ち上げる前ですね。バブル崩壊後、多くのベテラン音楽家がメジャーを離れましたが、当時衝撃だったようです。Serect30に収録されている「孤独」は、もしかしてこの体験からできた曲なのかなと感じました。

 

新曲の「縁もゆかりも」は、音楽活動を通じて起きた出会いが繋がっていくことをうたったもの。
「ライフスタイル」は、iPhone6の液晶が割れたのをきっかけに7に換えたけど、6もまだ残している。6を入れている机の引き出しにはその前に使っていた携帯電話、更にその奥は万年筆。捨てられない道具たちのことをうたったもの。
自分の左腕で、25年間変わることなく時を刻む腕時計をふと見てしまった。

 

前半ラストは「光りある日々」。東日本大震災の後発売された「一歩」収録曲。一歩でも前へ、という思いで制作されました。


 

(※後半セットリスト)
楽しく歌えば

桃太郎
笑点のテーマ
空飛ぶプリンプリン
フォークソング・バー
この国のレベル
海辺にたたずんで
夕山風
誇れる日
転がる石に苔は生えない
この先の道

(※アンコール)
燃ゆる心あるかぎり
いくつもの星の下で

 


後半です。ギターのチューニングを終え、「整いました!」と話して沸かせます。
最初は「楽しく歌えば」。
途中で、多々多々 野々野々 志々志々・・・と、印象深い歌詞が、というか掛け声があるのですが、この部分を輪唱しましょうということになりました。
昨年も行ったそうで、昨年会場に来られた方が多めだったステージ左半分が前半、私を含めた右半分が後半。手拍子も起き、これは盛り上がりました。

 

続いてはNHKみんなのうたで採用された「空飛ぶプリンプリン」について。
(二代目)林家木久蔵さんと以前から親交があったそうで、確か父の木久扇(初代林家木久蔵)さんになにか親孝行できないかといったところから、父はNHKが好きなのでみんなのうたに應募し、紅白出演できないかと、制作がスタートしたようです。
作詞は木久扇さんですが、最初はおっぱいぷりんぷりんといった歌詞だったそうで、それでデモを作り!送ったところ(笑)、落選。送ったというのもすごいですが、まじめなヤスさんがおっぱいぷりんぷりんとうたってみたのが、かなりびっくり。
その後パピプペポと、パ行の言葉を入れると印象に残り、ヒットしやすいということと、戦時を生きた師匠のプリンへの憧れの気持ちを込めた歌詞に書き変わり、木久扇木久蔵親子と、孫のクミさんコタさん、ヤスさんとで木久ちゃんロケッツを結成。見事採用になったそうです。
コタさんも高座に上がられたそうで、親子三代の顔合わせの際に、ヤスさんお囃子も任されたとか。
木久蔵さんは「花」(春のうららの~隅田川~)。コタさんは「桃太郎」。木久扇さんは「笑点のテーマ」。と、これをギターアレンジで演奏。
「空飛ぶプリンプリン」もヤスさんのボーカルバージョンで演奏されましたが、ヤスさんがうたうと、どんなコミカルな曲も全部カッコイイ曲に聴こえるから不思議です。

 

最近のフォーク酒場の静かな流行に触れ、多くのお店にコード譜が載せてある本が置いてあるけど、オフコースのはあまり演奏されていない。
オフコースの曲は当時難しすぎるコード進行にしたので、気軽に演奏できなくて歌ってもらえないそうです。
「フォークソング・バー」は、気軽に歌ってもらおうと簡単なコード進行にしたつもりが、やっぱり難しい曲になってしまったとか。

 

「この国のレベル」は、以前のライブの「挽歌」などでも使用されたハーモニカを間奏で交えたアレンジでした。
これ以降はノンストップ。「夕山風」はやっぱり名曲。


書いてたらまたすごく長い記事になってしまった。
アンコールは2曲。
今夜でツアーの最後だから、避けていた話しをと2025年問題について。
私のように介護の仕事をしている人はご存知かと思いますが、この頃人口の多くを占めているいわゆる団塊の世代が後期高齢者(※75歳以上を指します、前期高齢者は65歳以上)となり、入院する病院も看護介護要員も、その費用も圧倒的に不足するという大問題です。
今から9年後。2025年は自分は56か、。介護の仕事続けているだろうか。

 

発表したとき、男40とうたった「燃ゆるこころあるかぎり」。今は男60とうたうけど、歌詞が70になっても歌い続けるから見届けてほしいと話します。

 

ラストは「いくつもの星の下で」。
間奏の口笛が素敵でした。

 


 

終演後はサイン&撮影会。
まだ買っていなかった新CD「Another Serect+」を購入。サインを入れてもらいました。
そしてこの日はもう1枚。1988年に発売され、当時高校を卒業して暫く音楽から遠ざかっていた私を、音楽の道に引き戻したアルバム「ララバイ(LULLABY)」を自宅から持ってきて、これにもサインを入れてもらいました。そして、並んで写真も。
GRは難しいカメラなのでどうかなと思いましたが、けっこううまく撮ってもらえました。

 

ヤスさん、このペースだとまた来年も来てくれそう。どうぞお元気で。

 

アンケートのリクエスト欄に「二人きりの部屋」「蒼いままの旅が俺たちの時代」「青い追想」「蜉蝣(かげろう)」と書いて退室しました。