去年、『おだしさん』になった時に。

 

お塩の大切さを、みなさまにお伝えしましたが・・

 

 

 

 

 

 

 

日本の塩田は数千年の歴史を持ち、

縄文時代の遺跡からは製塩土器が発見されているのがその証し。

 


 

これね。文化遺産オンラインサイトからお借りしましたよ。

 

万葉集には、『藻塩焼き』の一文もみられ、

海水の付着した藻を積み重ねて、上から海水を注いで煮詰めた様子がうかがえます。

 

 

長い歴史を持つ日本の塩田ですが、

明治38年 日露戦争の戦費調達のために、

潮の専売制度が当時の大蔵省の直轄で始まり、

昭和24年には日本専売公社が創設され、

昭和60年に日本たばこ産業に引き継がれています。

 

 

その中で、昭和47年に塩の製造・販売は國の管理下におかれ、

同時に自然に海水の水分を蒸発させる工程から、

工業的な『イオン膜』製法に取って代わり、

塩田による製塩法が全て廃止となったのです。

 

 

そして驚く事に、、

誰でも自由に塩がつくれるようになったのは、

なんと 平成9年のことなのをご存知でしょうか?

明治38年から約88年も経ってしまっていたなんて・・

 

 

縄文時代から続いた長い歴史のなかで、

88年なんてホンのいっときとは言え

大切に受け継がれた製法がすっかり風化してしまい、

だれもその技術を伝承することができなかったことは、

日本文化の大いなる損失じゃないのかな・・

 

 

塩=『塩化ナトリウム』という政府の認識ですが

フランスの 生理学学者 ルネ・カントンが

『血液のミネラル組成と海水に含まれるミネラルの組成が近似していることを発見』

海水を使った治療で数十万人ものヒトを治療した方法が現在では

ごく一部のヒトに『キントン水』として治療に使われているそうです。

 

 

ミネラルや他の成分を全て取り除いてしまった、塩はただの抜け殻。

ニンゲンのカラダに良い働きをするとは考えられないですよね。

なので、この抜け殻の塩は減塩するのではなく、

本当の塩にしませんか?

 

 

実は、塩って、江戸時代には 約50g取っていたんですってよ!!奥様。

その上、江戸時代は『一日2食』で、『一汁一菜』

この『菜』は、沢庵やお漬け物。そう、ミネラルたっぷりなお塩をちゃんと

摂っていたのです。

 

(余談ですが、江戸時代、玄米が主流でしたが美味しい白米に変わってから

『脚気(かっけ)』の病が流行り、玄米に戻したらすぐに治ったそうなの。

 日本人と食の関係性は、今も昔も変わらないのですね。)

 先日お伺いした、中村さんも白米はただの抜け殻だと仰っておりました。

 私も白米は大好物ですが、玄米食でゆっくり噛みながら頂く事にしますチュー

 

 

江戸時代の一汁一菜、そして塩分50gの生活では

女性がめちゃくちゃ重たい米俵を軽々持てたり

飛脚は、江戸から大阪間を三日間で走り抜けたと記載されている程

体力があったのですね。

 

 

でね。『敵に塩を送る』上杉謙信の男らしさ。

お米があっても、お水があっても、ニンゲンは塩分がないと

生きて行けないもの。

兵糧攻めよりも、『塩留め』の方がキツいんです。

 

ちゃんとした塩をちゃんと摂りませんか?

 

 

先日、『神宝塩』の講座に行ってきましたの。

美味しいお塩は沢山あるので、自分で調べて

自分にピッタリなホンモノのお塩を。



 

自分の身体は自分で護る。そんな時代です。