こんばんは
母の介護記録まとめ①の続きを
綴ります
介護をはじめて3年目から4年目
2008年~2009年です
2008年1月 母認知症と診断受けて2年
デイサービスは週3日
ほぼ機嫌よく通う日々
大腸癌術後の定期検診は3カ月毎
腸に負担の少ない献立を考えて
作って他の家族もそれに合わせて
いたけれど母は不満ばかり
お菓子屋やパンを
部屋に隠すようになる
2008年4月 娘 幼稚園年長へ
2008年6月 はじめて腸閉塞で入院
母がお腹が苦しいと言い
顔色も悪くなり
認知症でかかりつけのクリニック
を受診し そこから救急車で
大腸癌の手術をした大学病院に搬送
約一週間の入院
手術はせずに点滴治療 を行う
この時の入院では身体拘束はなく
足元のセンサー付きマットのみ
母は
「私が立つと、すぐに人が来るのよ」
と不思議がっていました
私は毎日病院に通いましたが
帰ると母から
「私のお財布がないんだけど」と
ほぼ毎晩電話がありました
2008年8月 母 友人に騙されたかも
その時のことはこちらに書いています
https://ameblo.jp/keityamo/entry-12423946947.html
2008年10月 母 75歳
2008年は大腸癌の手術後はじめて
恐れていた腸閉塞になり入院しました
このときから更に
母の間食に気をつけるようになりましたが
母は理解できず我慢もできずで
食べたいものを食べさせてあげられない
母をかわいそうに思う気持ちと
何もわからず消化の悪いものを
自分で買ってきては食べる母に
イラ立つ日々でした
2009年4月 娘 小学校入学
入学して一週間で登校拒否に
2009年5月 娘 弱視と診断
9歳まで眼鏡をかけて治療と
言われるも2ヶ月で眼鏡拒否
そのまま眼鏡なしでいましたが
半年後に視力1.2出て今も変わらずです
2009年8月 母の実家 北九州へ
私と娘と3人で母の故郷 北九州へ行く
久しぶりの故郷で三姉妹と会って
楽しく過ごせると思いきや
そして
「姉ちゃんが気に入れば、暫く姉ちゃん一人残って暮らしたらいいよ」と妹が言ってくれたけれど
母は片時も私のそばを離れず
懐かしい場所に行っても
「帰りたい」と不機嫌
母にとって懐かしい故郷は
なくなったと悲しく感じた旅でした
これが母最後の帰郷となりました
2009年10月 母76歳
2008年~2009年の この頃のことは
正直あまり覚えていません
娘が小学校に入学してすぐに
登校拒否になって
娘のことが気がかりで
反面
学校に行きたがらないことに
イライラもして
思い出すことは娘のことが
多いです
まあ
母とは変わらずバトルを繰り返して
いたこと
誰かが日々怒鳴っていたことは
間違いないかな
これは私も父も都合がつかず、母が一人で診察に行った日の母メモ書きです