​身体ってしゃべるの?


そんなこんなのギックリDay2は、

オンラインコミュニティ「hare room」での
オンラインyogaデー🧘‍♂️




主催のはるみのギックリ腰につき、



ティーチャーとしてお招きしている
C.yoga千鶴先生が、


「今日はヨガニードラなんてどうですか?」



なんて女神の女神であるひと言に、
魂が踊りました♪



わぉっ✨

なんて贅沢なヨガタイム🧘‍♂️


ヨガニードラとは、


インストラクターの誘導の声に従って行う瞑想のこと。
楽な姿勢にも関わらず、深いリラクゼーション効果が得られると言われている。

この深くリラックスした状態が、心身の緊張をときほぐし、整えていくと考えられている。

4時間の睡眠にも匹敵する程の癒やし効果があるとも言われている。





はっきり、簡単に言って、
ヨガセラピーでした。






私のセッションでは、

「身体の感覚に意識を向けていく」

ということをよくします。






例えば、

イライラやモヤモヤ…、ドキドキなど…、


そんなのを感じたら、
どこでそれを感じるのかに、
意識を向けてもらいます。





からだが、
本当の本音を知っているから。




思考で解釈していることも、
「からだに聴く」と、
ほろほろと、ほんとのことが思い浮かんだり、
止めてきたものに触れるコトができます。





私たちは、普段は思考の塊です。


その思考は、私たちを守るために、
良い方向へ導くために、



えんやこらと、いろんなことを教えてくれます。
(良い悪いじゃなくてね)




けれど、
その思考って、実は、


自分の本当のほんとうの、ほんとの本音では
なかったりするもので…。



それは、
これまで鵜呑みにしてきた価値観
(親、先生、社会、友達、宗教やえんやこら…)

で、
「〜するべき」
「〜であるものだ」

とか、そんなことで、


自分の本当の価値観ではない場合も、ある。



そこに、ズレがあったりするから、
生きづらさとか、
自分じゃない感覚、
自信のなさを感じたりする。





だから、
自分の感情や感覚を、大事に扱いたい。


本当は、
どうしたいのか。

本当は、
どうなのか。



それはやっぱり、普段の思考が多い世界では、
その本音に辿り着けなかったりするもので。






ヨガニードラは、
まさにその思考をストップさせてくれる瞑想だ。



先生の誘導で、
自分の身体のいろんな部位に意識を向けていく。


まさに、
「今、ここ」の時間である。






今回は、
ギックリ腰の私のため、
身体の回復に適した誘導をしてくださいました。



「身体の痛い部分や傷…そこに意識を向けてください。」




という誘導に、


自分のセッションを受けてる感覚に…!!



先日、友達に
「自分のセッション受けてみたいw」
って話したばかり…!!!
どんだけ引き寄せてるんやひらめき





私は、もちろん腰に、意識を向けました。




意識を向けてみて、

言葉を与えてみました。



言葉を話すとしたら、腰はなんて言う?





「…。痛い。いてててててて!!!!」
「怖いんだよ!」
「やめてやめて。触らないで。」



という言葉と同時に、

窮屈さと不快感を感じる。




不妊治療中の記憶が蘇る。





苦痛だったなぁ。

度重なる内診や、痛い治療や、検査。



そうだ。

私の心はこの身体。





ここが、ものすごく緊張していたんだ。

触られるたび、
何度同じことをしても、ビクビクしていた。

嫌だったよね。

よく頑張ったよね。

妊娠中も、出産も、産後も、
酷く痛んだのだ。


今と同じ、左側の腰と、股関節が。





そんなことを感じていたら、涙が出てきて。





また、
別の記憶がやってきた。





20代での、はじめての内診の恐怖。
と、その後の医師の冷たい言動。




と、次に出てきたのが、




小学校に上がる前の、5〜6歳の頃のこと。


近所の男の子と2人乗りをしていて、
転けて怪我をした記憶。


後ろの荷台に跨って座っていた私は、
陰部を打撲した。



めちゃくちゃ痛くて、
だけど恥ずかしくって、

へらへら笑いながら帰ったと思う。



で、家に帰ると、陰部から血が出ていたので、
病院へ連れてってもらった。

 
病院でのことは覚えていない。


それからしばらーーーくは、
トイレに行くことが苦痛で苦痛でたまらなかった。


という記憶。




が、頭での記憶には残ってなくても、

からだは、その感覚を覚えているのである。



記憶は、筋肉に宿る。



例えば、
熱いものが手に触れようとした時、
さっと手を払い除けますよね。


それは、その手がちゃんと知ってるから。
脳を介さずに、反射的に、動くのです。




頭では覚えていない感覚も、
このからだはちゃんと知ってる。




私は、
この時の怪我から、
とても緊張していたんだと気づく。


気づくと、また涙が出てきていた。




あぁ、
そっか。

怖かったよね。

痛かったし。

何が起こったのか分かんないし。

ギュッと、力を入れていたんだね。


恥ずかしかったよね。


力、入れるよね。そりゃあね。




ありがとう。

緩んでいいよ。


ありがとう。



これまでの、ここ周辺の痛みと苦痛と緊張に、

ようやく私が寄り添った瞬間だった。





子供の時のあの怪我の、
恐怖と恥ずかしさは、

ずっとずっと、長い沈黙の中、
時々現れては、

また気づいてもらえず、
今日までずっと、居たのだなぁ…。





あれもこれも全部、


今、頷ける。





これを書きながらも、涙が止まらないのは、

きっとそういうことだ。






やっと気づけた。

私の、未完了な感覚に。



ヨガニードラと、ギックリ腰のおかげで。




また私は、わたしを愛おしく感じている。


ありがとう。
わたし。



頑張ってきた。






そして、
頑張ってきていない人は絶対にいない。


転けたことがない子も、
怪我をしたことがない子も、
怖い思いをしたことがない子も、


きっといない。




みんな、頑張って生きてきた。



それぞれが。





そんなことを、
大人になるとついつい、

「当たり前じゃん?」
「普通だよ?」
「みんなそんなもんだよ!」

ってやっちゃいがちだけど。


むしろ、なかったことにしがち…だけど。




 
時々ね、
時々でもいいから、

じっくり、ゆっくり、
その身体に寄り添ってみること。


それは、正真正銘、こころと向き合うことだから。





時々さ、

これまで生きてきた自分に、
感動と労いをしてみること。


いいと思います指差し





過去に気づけば、今が変わっていく。
囚われるでも、そのせいにするでもなくてね。

気づいていないことこそ、
実は囚われていたりするものだ。





そんな、何とも贅沢な時間な、

ヨガニードラでした。



終わった後は、参加のみなさまもうっとり顔…


千鶴先生、ありがとうございました♡