☆ 佐味田宝塚古墳
(さみたたからづかこふん)



大和国廣瀬郡
奈良県北葛城郡河合町佐味田
(駐車は下部写真にて)


■形状
前方後円墳
*二段築成、葺石有り
*周濠は未確認
■全長
111.5m
■築造時期
古墳時代前期末~中期初頭(4世紀末~5世紀初頭)
■埋葬施設
粘土槨
*割竹形木棺の可能性有り
■出土品
銅鏡36面(家屋文鏡、斜縁二神二獣鏡、変形方格規矩獣文鏡、神人車馬画像鏡)
鰭付円筒埴輪、盾形・蓋形・短甲形・草摺形・靭形・家形・壺形埴輪等(各形象埴輪は括れ部より出土)
勾玉、管玉、銅鏃、巴形銅器、鍬形石、石製合子、石製刀子、石製剣、巴斧形石製品、紡錘車、鎌形石 等
■周辺の状況
*「馬見古墳群」中央群の中核を成す一基
■被葬者
葛城氏の有力者か。



「馬見古墳群」の中でも最古級の一基。前方後円墳としては今のところ最古のもの。

国指定史跡となった他、希少な家屋文鏡を含む銅鏡や銅製品等が国指定重要文化財となっています。

家屋文鏡は径22.5cmの大型鏡。

鏡の背面には、中央にある紐を中心にそれぞれ形態を異にする4棟の建物が表されたもの。


【家屋文鏡】(Wikiより原文まま引用)

━━それらは、竪穴の建物(A棟)・平屋建ての建物(B棟)、高床の建物(C棟)、高床の倉庫らしき建物(D棟)である。
◎A棟

住居と見られる竪穴建物で、入口の扉は支え棒で持ちあげられ、そこにC棟と同じ露台と蓋(きぬがさ)がみえる。A棟は他の3棟よりも大きな床面積を持って表現されている。日常生活の場を表すたものと見られる。このA棟と類似の竪穴建物が奈良県天理市の東大寺山古墳から出土した鉄刀の柄の環頭に表されている。
◎B棟

入母屋形の屋根を持つ平屋建ての建物で、観音開きを思わせるような壁があり、基壇の上に建てられているところから大陸風な建築の影響を受けたと見られている。
◎C棟

高床で入母屋型の屋根を持つ建物で、一方の妻側に手すりをつけた梯子が、他方の妻側には露台が見られ、身分の高い人の建物であることを示す蓋がさしかけられている。また、屋根の左右には稲妻形模様(いわゆる雷文の一種)が描かれ、その模様の中に人物像が配置されている。祭祀儀礼や政治を行う中心になる建物であったろうと考えられる。このC棟によく似た家形埴輪が大阪府八尾市の美園古墳の周濠から出土している。
◎D棟

高床の切り妻型屋根を持つ建物で、一方に梯子がある。高床の下は蓆様の仕切りが壁をつくり、収納空間をつくっている。


このうち平屋建ての建物(B)と、高床の建物(D)には、その左右に木の表現があるのは神木と考えられる。他の2軒はりっぱな建物だが、神木がない。そのかわり、身分の高い人の建物を示す入り口に立てかけられた日覆いの傘(蓋)がある。A棟を除く3棟の上には、それぞれ二羽の鳥が表されている。


家屋文と類似する家形埴輪が各地から出土している。埴輪では千葉県山武郡芝山町の殿部田(とのべた)1号墳や鳥取県東伯郡湯梨浜町の馬ノ山古墳群中の長瀬高浜遺跡から古墳時代中期の様々なスタイルをした家形埴輪が、大阪府八尾市の美園古墳の周濠からA棟によく似た家形埴輪が、群馬県伊勢崎市赤堀町の赤堀茶臼山古墳から多種多様な8棟の家形埴輪が出土している━━


被葬者については葛城氏の首長とみるのが有力。ところが和田萃氏は葛城氏の本貫地である「掖上」から離れていることから、「馬見古墳群」自体が大王家に関わるものとしています。また河上邦彦氏は北群を大王家のもの、中央群と南群を葛城氏のものとしています。


当古墳は前方。対向用のスペースが多く設けられており、後部で対向できるように停め置きました。地元民が希に使う道路のようで、滅多に車は通りません。



上段に登りました。

埴輪片を探すも見当たらず。丁寧に採集されたようです。



手の大きさと比較。手はやや大きめです。

*画像はWikiより


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*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。