宮谷神社 (舞鶴市佐波賀)
丹後国加佐郡
舞鶴市佐波賀宮ノ谷294
(社前が広くなっており駐車スペース代わりとなっているようです)
■祭神
(不明)
東舞鶴湾の北東部に位置する大浦半島の南側、「佐波賀(さばか)」に鎮座する社。海岸沿いに設けられた社殿は、海に正対しています。
◎「佐波賀」はほとんどが山林、海際に2ヶ所小さな集落があります。当社付近の東側が「佐波賀上」、西側が「佐波賀下」。両地区合わせて135人49世帯の過疎地。
◎「舞鶴市史」には、初め「佐波賀村」の上と下のの間の「子ナギ」という谷地に住んでいたが、沖合の「蛇島」に棲む大蛇が襲うので、上と下に分かれて住むようになったという民話を載せています。
◎当社は「佐波賀上」の東端に位置し、かつては蔵王権現が鎮座していたとのこと。当社はそれを受け継いだようです。
その蔵王権現は田辺城藩主であった細川忠興が、城の裏鬼門を守るために建てたとも言われています。ところが当地は裏鬼門ではなく、表鬼門の方角。何かが間違って伝わっているのかもしれません。また舞鶴市「福来」の同名社 宮谷神社に受け継がれているとも。そちらには平安後期の男女神像二体が収蔵され、創建はその頃に遡るとも。情報が錯綜しており当社の沿革を探りようがない状態。
◎永禄十二年(1569年)に連歌師の里村紹巴が沖合の「蛇島」に逗留、磯辺には「吐月水」と呼ばれる名水があった「加佐郡誌」などに記されます。その「吐月水」があるのが当社境内。この時点ではまだ創建に至っていないようです。
◎「子ナギ」という地名から製鉄鍛冶が行われていたのであろうと思われます。「蛇島」の大蛇もそれに関連する名残でしょうか。
社前は道路が広くなっており、駐車スペースとなっています。
境内にはムクの巨樹が二体。
かつての蔵王権現の扁額が残されています。
こちらが「吐月水」。
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