大乃己所神社 (津市一身田中野)
(おおのこそじんじゃ)
伊勢国奄藝郡
三重県津市一身田中野694
(同域内の慈眼寺という仏教施設前に駐車スペース有り、進入は東側から)
■延喜式神名帳
大乃己所神社の論社
■祭神
【社頭案内板】
譽田別命
神八井耳命 大日霎命 天児屋根命 豊宇氣比賣命
【三重県神社庁】
誉田別命
[合祀] 足名椎命 須佐之男命 手名椎命 大山祇神
[配祀] 大日孁命 豊宇気比売命 天児屋根命
「志登茂川」河口近くの右岸、市街地津市「一身田中野(いっしんでんなかの)」に鎮座する社。北西2km足らず、津市「一身田大古曽(いっしんでんおおこそ)」にも同名の「大乃己所神社」が鎮座しています。
◎社伝によると、創建は天応元年(781年)酉年八月十一日であるとのこと。創建由緒は不明。この年の四月三日に山部親王が践祚し、同十五日に桓武天皇として即位しています。
◎往昔より「七社大明神」と称され、見初大明神の神殿に八王子・稲荷・八幡・春日・神明・大梵天王の七座神を奉祀したと伝わります。
◎「見初大明神」については、かつての平城京内に鎮座する大和国添上郡の見初社から手掛かりが得られます。
「元要記」(鎌倉時代以降に成立した社寺の沿革を説いたもの、1600~1700年頃編纂)に「西御門」についての記述が見えます。「七朝の宮門を建立して北斗七星の七星をそれぞれに配し、西御門には文曲星と豊斟渟尊(トヨクムネノミコト)を祀り、桒(桑)を植えた」(大意)とあります。
これは飛鳥時代に中国より流入し根強いた「北辰妙見信仰」によるもの。「泰一信仰」として、天を主宰するのは北極星を神格化した神であると。藤原京・平城京・平安京の大極殿の「大極」とは、北斗七星の北極星を指し、その北極星から精霊が地上へ降り立ち国を守護するというもの。また建立された七朝の宮門のうち「西御門」が見初社と関わるといったところ。
当社もそれに準じて「七社大明神」を祀ったのではないかと考えます。
◎「式内社 大乃己所神社」については、津市一身田大古曽の大乃己所神社の方を推すのが優勢。ところが御巫清直が「伊勢式内神社検録」にて、「大古曾村の東南の隣邑中野村所在の七社大明神と俗称する社祠こそ大乃己所神社也」としています。
◎明治四十一年に一身田大古曽の方の大乃己所神社に合祀されるも、戦後に分祀され復社したのが現在の当社となっています。
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