☆ 車駕之古址古墳
(しゃかのこしこふん)



紀伊国名草郡
和歌山市木ノ本724
(P無し、駐車は下部写真にて)



■形状
前方後円墳
■全長
86m (周濠込み112m)
■築造時期
5世紀第3四半期
■埋葬施設
(不明)
■出土品
金製勾玉
形象埴輪(円筒・家形・蓋形・囲形)
■周辺の状況
古代の「紀ノ川」流路河口の平地
釜山古墳群(釜山古墳・木ノ本古墳・茶臼山古墳)に属する
■被葬者
紀氏(紀伊国造家)の首長クラス



国内唯一の「金製勾玉」が出土したことで知られる古墳。金・銀・銅の合金で、現在の金細工に使用されるものとほぼ同配分の高度な合金技術を有したもの。いわゆる「16金」だそうです。

これは古代の伽耶国(朝鮮半島南部)とみられる地域でも4例出土しているとのこと。ヤマト王権の海外への玄関口に当たり、この権限を一手に担った氏族の墓とみられ、朝鮮半島との密な交流が窺えます。

東方には大谷古墳が築かれ、こちらも朝鮮半島との交流が窺える遺物が出土。さらにその東方には7棟もの巨大倉庫群を有した鳴滝遺跡が設けられました。

周濠、造出を有する巨大前方後円墳。朝鮮半島との交流を 一手に担った氏族となれば、紀氏(紀伊国造家)以外には考え難いところ。

5世紀中頃築造となると、大伴武以(オオトモノタケモチ)辺りではないかと。武以の子は室屋とされますが、間が空き過ぎているので、その間に2代ほど挟まるという説もあります。いずれにしてもその辺りでしょうか。
特定は困難ですが、ここまで解れば私としてはもう十分。誰であろうとこの頃の紀伊国造家の権勢を知り得ます。

墳丘は掘削され、石室は見当たらないようです。畑と化していたのを和歌山市が買取り、史跡化したとのこと。







大谷古墳の案内板より。

薄紅色は古代のおおよその「紀ノ川」流路。

本来駐車場となっているところが閉鎖。このように停め置きました。

後円部から

北側から。手前が後円部、奥が前方部。

前方部北端から


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。