「五島列島」の「中通島(大近)」の「矢堅目」。
*画像はWikiより






◆ 土蜘蛛 二十三顧 (「肥前国風土記」~4)






九州各地の「風土記」から「土蜘蛛」の記事を起こし…

「阿蘇ピンク石」製石棺で、「火国」や「球磨国」、「熊襲」や「隼人」について学び…

ちょっぴり九州ツウになりかけています。


今もし再び九州へ行くとするなら…
どの辺りを巡るか悩ましいところ。

行くことはできないのでしょうが(笑)



「志式島(平戸)」と「小近」・「大近」。
「志式島」からは「大近(中通島)」より南(南西)の島々は見えない。



■ 松浦郡「値嘉郷」

肥前国「松浦郡(まつらのこほり)」には百余りの島と、これとは別に八十余りの島々があると風土記は記しています。
前回の記事では「大家嶋」にいた「土蜘蛛」を、今回の記事は「値嘉郷(ちかのさと)、郡の西南の海中にあり烽は3ヶ所」と記される島を。

━━昔、景行天皇が巡幸した時、「志式島(ししきのしま)」の仮宮から西海を見ると、海上の島から多数の煙が立ち上っており、その煙が辺りを覆っていた。そこで、天皇は阿曇連百足(アヅミノムラジモモタリ)を遣わし偵察すると、そこには八十余りの島があり、そのうち二島には各々人が住んでいた。第一の島を「小近(をちか)」と言い、そこには土蜘蛛「大耳」が住んでいた。第二の島を「大近(おほちか)」と言い、そこには土蜘蛛「垂耳(タリミミ)」が住んでいた。その他の島には人は住んでいなかった━━

◎舞台は「五島列島」。
*「志式島」 … 「平戸」のこと。
*「小近」 … 「小値賀島(おぢかじま)」のこと。
*「大近」 … 「中通島(なかどおりしま)」及びその以南の島々。

イザナギ・イザナミ神による国生み神話では、大八洲を生んだ後、「児島」「小豆島」「女島」「知訶島」「両児島」を生んだとありますが、「知訶島」が「五島列島」に比定されます。


「五島列島」の上五島町 *フリー画像より



◎「小近」に「大耳」、「大近」に「垂耳」という「土蜘蛛」がそれぞれに住んでいたと記しています。風土記は続けます。

━━そこで百足は大耳らを捕えて報告すると、天皇は「誅殺せよ」との勅を下した。その時に大耳らは頭を下げ、「我々の罪は実に極刑に当たります。殺されても罪を塞ぐことはできません。もし恩情を降ろしなさり生かして下さるのならば、御贄を作って奉り、御膳を恒に献上致します」と申し上げ、すぐに木の皮を取って、長鮑・鞭鮑・短鮑・陰鮑・羽割鮑などの料理を作り、それを献上した。すると天皇は恩赦を与えた。そこで「この島は遠いが、まるで近いようにも見える。よって近島(ちかしま)と呼ぶが良い」と言った。これによって「値嘉(ちか)」という━━

◎どうやら「鮑(アワビ)」のお陰で、「土蜘蛛」たちは命拾いをしたようです。

◎「大耳」「垂耳」といった名の「土蜘蛛」が登場しますが、特にプロフィール的なものは無し。
手掛かりはやはり「耳」でしょう。「耳族」と言えば民俗学の大家 谷川健一氏であると信じて疑いませんが…。

谷川氏によると、
━━「揚子江」沿岸から「海南島」にいたる中国南部に住む海人族であり、彼らは常時大きな耳輪をさげる風習を持っていた。その習俗は日本列島に渡来してからもなお持ち続けていたので、多くの人びとの目を引き、「ミ」または「ミミ」の名をもって呼ばれていた (「青銅の神の足跡」より)━━と。

黒潮に乗り九州西南沿岸部に住み着いたとし、「大耳・垂耳」といった「土蜘蛛」、「天忍穂耳命」といった「隼人」たちと結び付けた天皇家に多くその名がみられると。

「肥前国風土記」には上の記述の後に、「風土記」らしく地域特産物などの情報を記していますが、さらに最後の結びに
━━この島の白水郎(漁労民)の容貌は「隼人」に似て…(中略)…その言葉も俗の人とは異なる━━と記しています。

◎彼らの命拾いとなったのは、最上の神饌とされる「鮑(鰒)」。
これは倭姫命巡幸の際に志摩国「國崎」(くざき、現在の鳥羽市国崎町)で差し出された「鰒」があまりに美味であったため、「御贄処(みにえどころ)」に定めたという故事があります。
「海無し県」である大和にいた倭姫命。そりゃもう鰒の旨さに感動したことでしょう。即効採用したようです。

「長鮑・鞭鮑・短鮑・陰鮑・羽割鮑」は、
━━鰒の加工品で、 蒸して薄く剥ぎ形を整えて乾燥したものである (「風土記の食物文化考」池添博彦より)━━とのこと。
いわゆる「干し鮑」、「熨斗(のし)」の語源ともなった「熨斗鮑」ということでしょうか。相当な手間隙と日数をかけて加工されるもので、到底、景行天皇が完成まで留まっていたとは思えませんが…深掘りはよしましょう。

「干し鮑」よりも、
断然「鮑ステーキ」派ですが。


「熨斗」の真ん中の黄色いのは「干し鮑」。
*画像はWikiより


◎様子を探りに派遣されたのは阿曇連百足。
記紀には登場しない人物(神)。景行天皇の「御付人(みつけびと)」として、「隼人」制圧にも大活躍しました。
安曇氏の総氏神は筑後国の志賀海神社であり、「五島列島」は彼らのフィールド上。偵察なんぞせずともよく知ってるはずだと思うのですが…。



「五島列島」(詳細地不明) *フリー画像より



長くなったので今回はここまで。
(要らんことも書いてますが…)

まだ「肥前国風土記」は続きます。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。