☆伝 阿氐流為・母禮の墓
(アテルイ・モレ)



河内国交野郡
枚方市牧野阪2-15 (「牧野公園」内)
(P無し)
(当日は駐車スペースのある隣の片埜神社参拝と兼ねました)



大墓公 阿氐流為(タモノキミ アテルイ)と磐具公 母禮(イワグノキミ モレ)の伝承墓。

「淀川」南岸、枚方市牧野阪にある「牧野公園」内の真ん中辺りにあります。隣接して片埜神社が鎮座。かつての交野郡の中心地であったと思われます。

この地は桓武天皇の母、高野新笠の故郷。百済王氏(クダラノコニキシノウジ)や秦氏など多くの渡来人が住んでいた地。
また平安時代には貴族たちの狩猟や歌詠みの場であったと知られます。

阿氐流為は平安初期の蝦夷の族長。延暦八年(789年)からの大和朝廷が派遣した征討軍に対し、同二十年(801年)に母禮とともに降伏。征夷大将軍 坂上田村麻呂に京の都に連れられます。そして翌年、河内国「杜山」にて二人は斬られたとあります。

この「杜山」の地を巡り古来よりさまざまに論争されてきました。
そもそもが「杜山」ではなく「椙山」「植山」「杴山」「牡山」であるとも。これは「日本紀略」(平安末期)に記されるもので、写本によりこの部分が異なるため。

上述のように桓武天皇所縁のこの地に、また貴族たちの狩猟や歌詠みの地に、墓が築かれたとするのは問題があるかと。また山ではないこともあり、真の墓は河内国のどこかというレベルまでしか断定できないようです。

おそらくは、隣接する京都府八幡市から枚方市にかけてのどこかなのだろうと思われます。

当塚は昭和二十八年の大型台風により、土砂採掘がなされてしまい、これを修復させたもの。
かつてあったという古墳状高まりもこの場所ではなかったとも言われます。

詳細は → Wikiに詳述されています。



片埜神社の東門から「牧野公園」を。




案内板はこちら以外にはありませんでした。

公園内にはこのような案内板も。



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