大國主命神社 (奈良市東城戸町)


大和国添上郡
奈良市東城戸町 
(詳細住所不明)(P無し)

■祭神
大國主命


かつて豪商が立ち並んだとされる「東城戸町(ひがしじょうどちょう)」に鎮座する社。往時の面影はなくやや寂れた佇まいの町並み。
◎「奈良曝」という昭和十四年に編纂された地誌によると、
━━「南城戸町」の項に「筒井左馬之助椿井町におはしける時、此所に城戸をかまへしゆへ、町の名とす」とし、「東城戸町」の項に 「是も筒井殿の西の城戸口なり」、「西城戸町」の項に「右に同じ」とあるように、「城戸町」は筒井と関係の深い地であった━━とある地(奈良女子大学学術情報センター電子情報係より引用)。
筒井左馬之助は不明。大和に居城した筒井氏一族と思われますが、信長に火を放ったとも言われる明智秀満と同一人物とする文献も。筒井順慶は明智光秀の斡旋により、信長に臣従したとされていますが。
◎当社地にはかつて安養寺という仏教施設があったものの17世紀に移転、その後に「奈良曝(奈良晒)」の豪商が居住していたようです。「奈良晒」は徳川幕府の御用達品として名声を高め、武家や町人の贅沢品として親しまれました。
◎その豪商の敷地内の庭に祀られていたのが当社の前身。昭和十四年に隣町へ移転の際に、「家運隆盛は大黒さまのおかげであった」とし、引き続き奉斎することを条件に敷地を町に寄贈されたとか。
◎ネットで管見した情報によると普段は門扉が閉ざされており、今回開いていたのは偶然のようです。過去に参拝した時も開いていた記憶がありますが。またかつてのお屋敷跡である敷地内の集会所(兼社務所)には、御神体である大黒像の写真が貼り出されているようです。そちらはかつては寺子屋として使われていたこともあったり、現在の椿井小学校の前身の一つとして使われていた時代もあるとのこと。
ご本殿の両脇のご祭神に関する資料は見当たらず不明。






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