☆ 懿徳天皇 軽曲峡宮跡
(かるのまがりのおのみや)



大和国高市郡
奈良県橿原市白橿町6丁目
(「白橿町6-19-8」の民家の東側道路向かい)
(P無し)



第4代懿徳天皇の「軽曲峡宮」伝承地。

現在の「橿原ニュータウン」の南東隅に木製標が立てられています。
ニュータウンの東側を、抉るようにして幹線道路が縦断。ちょうどその削られた辺りが伝承地ということかと思われますが、この標がいつ頃、誰により立てられたのかは不明。

欠史八代の一。
当ブログでは実在したと仮定して進めていますが、これくらい古い時代となるとほとんど伝っていないのでしょうね。

紀と記では記述も相違していますし。末子相続制であったことすらも忘れ去られていたようですし。

◎父 … 安寧天皇
◎母 … [紀] 渟名底仲媛命(事代主神の孫鴨王の娘)、[記] 阿久斗比売(河俣毘売の兄の縣主 波延の娘、師木縣主系)

◎皇后 … [紀] 天豊津媛命(同母弟の息石耳命の娘)、[記] 賦登麻和訶比売命(師木縣主系)
*子 … 孝昭天皇、武石彦奇友背命

注目すべきはやはり師木縣主との関わり。
紀記編纂時には既に没落しており、ほとんど情報が残っていなかったのだろうと。

神武東征神話に登場する弟磯城の裔であろうと察せられますが…。


木標が立てられているのは赤三角の所。「白橿町6丁目」の最南東端。国道169号線に接続する幹線道路は左下を通っています。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。