布宇神社 (松江市玉湯町)
(ふうじんじゃ)


出雲国意宇郡
島根県松江市玉湯町大字林1204
(駐車スペース有)

■祭神
大己貴命
[配祀] 素盞嗚命 級長戸辺命 下照比賣命


「宍道湖」の南側湖畔、「玉湯町林」の小集落外れの丘陵、樹叢に覆われた地に鎮座する社。
◎創建年代は不詳。由緒に関しては社頭案内に以下のように示されています。
━━この地は「出雲風土記」に「拝志ノ郷」と記されている。この地名の起源は大己貴命が越の国八口を平定に向われる途中、この郷に樹木が繁茂しているのをご覧になり、自らの勇ましい御心に副り「吾が心の波夜志なり」と詔ったことによる。
当社は「出雲風土記」に「意宇郡波夜志郷布宇社」と記されてあるが、もとはこの所にあったのではなく「出雲風土記」に「此ノ地ニ正倉アリ」と記されてある正倉のあったといわれる現在の元宮と称する所が当社の旧社地である━━
◎「越国の八口」については正確なことが分かっていません。「高岡市八口(やつくち)」や「岩船郡関川村」などが挙げられています。また記のスサノオ神の八岐大蛇退治神話が「出雲国風土記」にまったく記されないことから、実際に退治したのは大国主神であるとし、「八口」の「口」を蛇の古語とみなすというものまで。
「出雲国風土記」の記述は「大己貴命 越の八口を平らげ賜ひて遷り坐す」と。
◎旧社地も分かっていないようです。北方、西方などと言われますが、いずれも「宍道湖」の際かと。「正倉」とは正税として納めるために収穫された稲を管理する倉庫。通常は郡家が管理していましたが、出雲国は郡ごとに数ヶ所ずつ分置されました。
◎「波夜志」という語が記されます。「樹木が繁茂」する「林」ということですが、この時代に「林」などあまりにありふれたもの。少々不可解に思われます。この風土記の一文は根本的に史実と異なるのではないかと。
◎風神を祀ることから元寇の際には祈祷がなされ、神風が起きたため「風ノ宮」と呼ばれるようになったとか。
元禄十二年(1699年)には社殿が焼失。当初社殿は西向きに建立されたが、明治に再建される際は現在の東向きとなったようです。やはり旧社地は西方なのでしょうか。





ピントを宛てる所を間違え残念な写真に…。

境内社

駐車場前から南方にかけて古墳群があるようです。この通り立ち入ることは不可能。




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。