斐伊神社


出雲国大原郡
島根県雲南市木次町里方字宮崎463
(境内に突っ込んで停めました)

■延喜式神名帳
斐伊神社の比定社
同社坐斐伊波夜比古神社の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
素盞嗚尊
稲田比売命
伊都之尾羽張命
[合殿] 樋速夜比古命 甕速日命 火炫毘古命



「斐伊川」中流域沿い、雲南市役所近くのちょっとした市街地に鎮座する社。
◎「出雲国風土記」に「樋社」として、「樋社」と「同樋社」の二社が記されますが、天平年間(710~784年)に斐伊神社として統合されたと伝わります。そして延喜式神名帳には「斐伊神社」と「同社坐斐伊波夜比古神社」として記されます。
その比定地が当社と西50m余りの「八本杉」(後ほど記事UPします)。「風土記抄」という書は当地を斐伊波夜比古神社の鎮座地、「雲陽誌」という書は当地を斐伊神社の鎮座としています。
◎その「八本杉」というのはスサノオ神が八俣大蛇を退治し、頭を埋めた上に杉を植樹したと伝わる地(後ほど詳しく)。
◎ご祭神の伊都之尾羽張命は、神剣「伊都之尾羽張」を神格化した神と言えるかと思います。イザナミ神が黄泉国へ行く(神去る)原因となったカグツチ神を斬ったのが神剣「伊都之尾羽張」。
その斬った血から生まれたのが樋速夜比古命と甕速日命(参照 →【古事記神話】252627)。
◎創建年代は第5代孝昭天皇の御宇。武蔵国の名神大社 氷川神社(未参拝)へ当社から勧請されたとのこと。
アメノホヒ神を祖とする出雲系の无邪志氏(ムサシノウジ)が移住したのは、「先代旧事本紀」の「国造本紀」によると第13代成務天皇の御代。おそらく本来の創建はそれ以降であり、当社創建もそれ以降となります。
◎「樋社」を「斐伊神社」と名を変えたのは、神亀三年(726年)に民部省の口宣により郷名を「樋郷」から「斐伊郷」へと変えた時であるとしています。これは地名をすべて二字に統一するようにと出された、和銅六年(713年)の制度を受けて施行されたものではないかと思われます。
中世には小字名を受けて「宮崎大明神」と称されていたと伝わります。








廿原神社のご祭神は古那比売命。詳細は不明。





火守神社であろうと思われます。




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