大跡部神社


美濃国牟義郡
岐阜県武芸川町跡部1703
(P有)

■旧社格
村社

■祭神
大跡部王子


「武儀川(むぎかわ)」西岸、「武芸川町跡部(むげかわちょうあとべ)」に鎮座する社。背後は「御輿山」、社前には小さな古い集落が広がります。「武儀川」は「長良川」支流、町内を縦断する日本屈指の清流。鮎やうるりなどが泳いでいます。
◎創建由緒は未詳ながら口碑によれば、第25代武烈天皇の大迹皇子(オオトノミコ、大跡部王子)が当地で崩御し、その神霊を奉祀したとされています。
◎大迹皇子は都を遁れ、この地に行啓し隠れ住んだとのこと。背後の山は「御輿山」と称され、里伝によれば、山頂には大迹皇子が乗って来たという鳳輦(ほうれん、御輿のこと)が隠されていると。またその麓には「大跡部王子陵」(後ほど記事UPします)があり、皇子の塚として伝わっているようです。
◎ところが記紀に武烈天皇には子女があったとは記されていません。紀には「男女無くして継嗣絶ゆべし」、記には「日続知らすべき王無かりき」と。当社における伝承を信用するなら、武烈天皇には大迹皇子という御子が存在したものの、記録から抹消された、或いは天皇または側近らの計らいで隠し通されたということかと。
◎武烈天皇に対しては非実在説が根強くあります。これは次代の継体天皇が血縁関係が薄く即位したため、その正統性を強調するため暴虐非道(紀の記述による)の武烈天皇を創り上げたというもの。記には暴君ぶりは記されていません。事績の記述も一切無し。
また紀には皇后に春日娘子(カスガノイラツメ)があったと記されるものの、父母や出自には触れていません。これは歴代天皇の中で唯一のもの。一方で記には皇后のことすらも触れられていません。
◎現地は過疎化が進むひっそりとした農村集落。遁世するには格好の地かと。「御輿山」は「大跡部王子陵」を初めとした群集墳が築かれ、鬱然とした雰囲気を醸しています。

*「大跡部王子陵」と「御輿山古墳群」は、後ほど別記事をUPします。


向かって右手、鳥居横は古墳の可能性があるとのこと。駐車場は「御輿山遺跡」。









この案内板によると、ご本殿には火之迦具土神と大物主神、崇徳天皇が合祀されているようです。