竹渕神社
(たこちじんじゃ)


河内国渋川郡
大阪府八尾市竹渕2-154
(P有、境内南側から進入)

■旧社格
村社

■祭神
天照皇大神


八尾市の西端、住居商店工場が混然密集した「竹渕(たけふち)」に鎮座する社。社名読みは「たこちじんじゃ」。
◎当社は神武東征神話ゆかりの社と伝わるようです。同村の仏教施設に伝わる「竹渕神社縁起」(竹渕神社サイトより孫引き)には以下のようにあります。
━━それ河内郡渋川郡竹淵村は五ヶ郷の一にして、多迦不知の郷と旧記にも見へ侍る。上古、神武天皇、日向国より岩船の山へ越し給ふ時、当国長髄彦襲ひ奉りしに、当郷の大竹藪の中へ入らせ給ひ、しばらく皇居成し給ふを、長髄彦が目には深き淵の中へ入り給ふ神変と恐れ奉りて逃げ失せける。その時、天皇楯を並べて猛敵を防がせ給ふ所を、今も「たてつ表」といひてこの村の東にあり。天皇上らせ給ふ道を「神武海道」といふは、この時よりの名、今に残れり━━
◎当地はかつて「多迦不知」と称されていたようです。もちろん「竹淵」に字を宛てたもの。「岩船の山」とは「生駒山」のこと。それを越えようとした際に長髄彦軍に襲われ、「大竹藪」に身を隠したと。その旧跡が当社になっているとのこと。
「たてつ表」は不明ながら東大阪市に「楯津」という地名が残ること、また「神武海道」に関しても北東方向ながら「神武町」の地名が残ることを当社側は指摘し、その可能性を探っています。
◎一方「大阪府全志」は、天照皇大神社であるとし、天照皇大神を祀るとしています。いつの頃からか変わってしまったもよう。明治六年に村社に列したとあることから、それ以降に現社名に変更されたようです。
◎また「八尾の史跡」という書には、━━昔は水田の中、周囲を濠で囲まれた神社であったが、住宅地が接近してきたため、昭和四十四年、周濠(宮池)の一部を埋め立てて神域を広くし、まわりの住宅地との間に緑地帯をつくった。この宮池には龍神が住むと言い伝えられている━━とあります。現在境内社として白光竜王大神が鎮座します(下部に写真あり)。


雑然とした市街地内の社としては広い境内。近年整えられたようです。



八尾市の保全樹木に指定。



親切丁寧な案内が一つ一つなされています。サイトも同様ですが、宮司の思いが伝わります。

こちらが白光竜王大神。