八重垣神社 (不破郡垂井町)


美濃国不破郡
岐阜県不破郡垂井町1126
(社前はP有り)

■祭神
素盞嗚尊
[合祀] 稲田姫命 八王子命


「揖斐川」支流の「相川」南岸畔に鎮座する社。当地は中山道の「垂井宿」の中心地でもあり、南宮大社の門前町。付近にはかつて商工業者が多く軒を並べていたようです。
◎創建は文和二年(1353年)のこと。当地に逃げ落ちた後光厳天皇によりなされています。
南北朝の動乱のご時世。高師直(コウノモロナオ)・足利尊氏・北朝と足利直義・南朝との対立が激化しさらに複雑化した時代。直義を排除するために尊氏が取った策は、南朝から直義追討の綸旨を出させること。条件は南朝への三種神器譲渡、政権返上などであり、これは南朝への無条件降伏と同じもの。南朝が京を支配する時代に突入。
このような中、北朝再建を目指す弥仁(後光厳天皇)は三種神器無きまま即位。南朝の追っ手からまんまと「垂井」に逃げ落ち即位しています。
◎この時に仮御所を設け、京の祇園社(八坂神社)より勧請し創建されたのが牛頭天王社。明治の神仏分離令の際に八重垣神社と改称されています。
◎後光厳天皇を慰めようと村人たちが、花車三輌を曳き回したことに端を発するという「垂井曳山祭」が例祭として行われているようです。