三宅神社 (舞鶴市北吸)


丹後国加佐郡
京都府舞鶴市北吸212-5
(P無し、「セブンイレブン舞鶴北吸店」の裏側の歩道一の鳥居有り)

■延喜式神名帳
三宅神社の比定社

■祭神
豊宇気姫命


東舞鶴市街地の西北端、舞鶴市「三宅」に鎮座する社。社殿は小山の頂付近に、北側麓には舞鶴市役所があります。
◎式内社「三宅神社」に比定されるも、異論が多くあるようです。
◎まず当社の創建年代は不詳。元々は西隣の現在は集合住宅の団地(市営三宅団地)となっているところに鎮座していたとのこと。明治二十二年に舞鶴鎮守府設置の勅令により、軍港用地として買収されたことによる遷座。
かつては「三宅荒神」「三宝荒神」などと称されていたようです。明治五年に「北吸神社」、同十五年に「三宅神社」と改称されています。これは神仏分離令によるもの。「北吸神社」は「北吸小字三宅谷」に鎮座していたという資料もあり、手掛かりの一つとなろうかと思います。
◎そのかつての鎮座地には「字神子屋敷」「字宮ノ平」といった地名が残っているようです。また貴官の屋敷の遺構であるとする説も。これを式内比定の根拠の一つと取るのかどうか。
◎「丹後風土記」殘缺には「河辺坐三宅神社」と記されています。また「丹後舊事記」には「三宅神社河辺中村」とあります。これらを取るなら「河辺川」流域に鎮座する河辺坐八幡神社(未参拝)が該当します。式内比定を巡り両社の間で激しい論争があったようです。
◎これらとは別に「丹哥府志」は舞鶴市喜多に鎮座する宮﨑神社(御山神社と並立)を宛てています。これは「三宅」が「宮﨑」に転訛したというもの。少々無理があるかと思います。
さらに「丹後国式内神社考」という書は福知山市大江町「公荘(現在の「公庄」)」の熊野若宮社(熊野神社・若宮神社)を宛てています。

◎ご祭神についても意見が分かれています。豊宇気姫命とするのは社名「三宅」を「屯倉」とみてのこと。また「三宝荒神」とは竈の神であるとし、食に関連する豊宇気姫命が宛てられたとされています。
◎ところが「三宅」を三宅連または三宅史のこととする説も。祖神である田遅摩毛理(タヂマモリ)をご祭神とみています。この三宅連についてはいかなる氏族か不明ながら、「新撰姓氏録」には「右京 諸藩 新羅 三宅連 新羅国王子天日桙命之後也」とあります。田遅摩毛理は天日桙命の曾孫。遠祖を天日桙命としているからには、やはり産鉄氏族だったのでしょうか。


かなり長い石段が続きます。