日置神社 (高浜町日置)
(ひきじんじゃ)


若狭国大飯郡
福井県大飯郡高浜町日置字半ノ木49-23
(駐車は下部写真参照)

■延喜式神名帳
日置神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
應神天皇


若狭国の西端、高野町「日置(ひき)」に鎮座する社。北西には「若狭富士」と称される霊峰「青葉山」が聳え、背後は「荒神山」。
◎当社には神主尉藤原定住という者が、享保十四年(1729年)に記した「日置之神社伝来之略記」なる書があるらしく、以下のように記されるとのこと。
━━聖武天皇の御宇(724~749年)に、「三松」と「日置」との間に鎮座していた。御祭神の神秘な光は、あらゆる方向に輝き渡り目出度いことや、小思議なことが起こった。そのことが遠近の国々に伝わった━━(大意)
◎「三松」とは「日置」の東隣村のこと。当地は日置朝臣が拠点としていた地域と考えられ、「日祀り」が行われていたのであろうと推されます。日置朝臣は「新撰姓氏録」に、「右京 皇別 日置朝臣 應神天皇皇子大山守王之後也」とある氏族。祖神である應神天皇を祀ったということになるのだろうと思います。ただし原初は日神であったものと思われます。
◎上記の書はまた、━━永享年中(1429~1441年)に、内之捕小黒飯城主大草伊賀守忠基公が、「日引邑」に社殿を遷した。ところが宝徳元年(1449年)に、一瀬氏定幸が神託により今の地の杉谷に遷し奉った━━(大意)と。
◎遷座が二度あったようですが、原初は当地より東方に鎮座、一度目の遷座は当地より西方、二度目の遷座で現社地になったということになるのでしょうか。2ヶ所の旧社地に関する資料は見当たらず不明。
◎中世には「杉谷荒神」などと呼ばれていたようです。これは仏教施設が当地に遷り社地を浸食し、当社があたかも鎮守社のごとき扱いになってしまったからのようです。


車を停め置くスペースが2台分ほどあります。

参道前の境内社。箭取神社でしょうか。

苔むした境内。