☆ 清寧天皇 河内坂門原陵 (白髪山古墳)
(こうちのさかどのはらのみささぎ)



河内国古市郡
大阪府羽曳野市西浦6丁目
(P無し、近隣停め置き不可)



第22代清寧天皇の治定墓。
全長112mの前方後円墳、周濠有り。

清寧天皇は生来白髪であったとされ、先代の雄略天皇が霊異を感じて皇太子にしたとも。

おそらくはアルビノ症であったと考えられます。そのためか在位期間は4年と短く事績もまったく伝わっていません。また后妃も無く、当然ながら子女もおらず次代天皇に頭を悩ますこととなります。これには先代雄略天皇が即位するために、有力者すべてを粛清してしまった影響もありますが。

母は葛城円(ツブラ)の娘である葛城韓媛。異母兄に磐城皇子、星川稚宮皇子がいます。

磐城皇子は早々に薨じたか。星川稚宮皇子は皇太子になれなかったことなどを理由に反乱を起こし、殺害されています。

問題となったのが清寧天皇薨去後の皇位継承者。天皇の子女は無し、雄略天皇の子も生存するのは他には無し。

このタイミングでちょうど現れたのが弘計皇子・億計皇子。雄略天皇により殺害された市辺押磐皇子の子供たち。

市辺押磐皇子は本来は、第21代の皇位継承の最有力候補者でした。自分たちも粛清される危険にさらされ二皇子は丹後や播磨で隠棲。ところが発見され第23代顕宗天皇、第24代仁賢天皇に即位しています。