☆ 上宮遺跡公園
(かみやいせきこうえん)



大和国平群郡
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南3-3-6
(P無し、遺跡前に停め置きしている車は多数ありますが…)



昭和六十三年から平成元年にかけて行われた「ふるさと創生事業」の一環として設けられた公園。

バブルで国民の多くの感覚がバカになってしまっていた時に行われた、あの悪名高き事業…

中途半端な1億円が各市町村にバラ巻かれ、使途を政府が放任したという、あの史上希にみる間抜けな政策…

当時ほぼ100%縁故採用でがっちりと固められていた奈良の田舎の市町村が、有効に使えるハズなどあり得ず、例外無く…お見事に…負の遺産に。

余談が過ぎました。

平成三年度に建設を始めると…あらビックリ!
遺跡が出てきたのです。

大型の掘立柱建物群、平城京で用いられたものと同じ紋様の瓦など。

続紀に記される、神護景雲元年(767年)に称徳天皇が行幸の際に二日間滞在したという「飽波宮(あくなみのみや)」ではないかとされます。神護景雲三年(769年)にも滞在。「飽波宮」は常設の行宮とされます。

また聖徳太子が晩年に、膳妃(カシワデノヒ)と夫妻で過ごしたという「飽波葦墻宮(あくなみあしがきのみや)」の候補地がすぐ側にあります。

「飽波葦墻宮」は成福寺という仏教施設がその跡地に建てられたとされ、寺跡が隣接しています。また聖徳太子が薨去した地とする古書もあるようです。

「飽波葦墻宮」については、安堵町の飽波神社も候補地の一つ。またその旧社地という伝承地がある広峰神社も。

残念ながら、貴重な遺跡を十分に生かしきれていません。