☆ 調子丸古墳
大和国平群郡
奈良県生駒郡斑鳩町東福寺1-5
(「東福寺1-5-33」の民家の西隣)
(田の中にあるため許可無しで拝することは不可と思われます)
大和盆地北西部を縦断する「富雄川」の西側に築かれた古墳。
周辺を含めた発掘調査結果によると、30m級の円墳であるとのこと。現在は掘削されわずか14mが残るのみ。
円筒埴輪・形象埴輪が墳丘から出土。
5世紀中葉の古墳と推定。
北100mに築かれた推定全長60mの前方後円墳である、駒塚古墳も有り。
また「法隆寺南二丁目」から「興留東一丁目」辺りにかけての「酒ノ免遺跡」より、弥生~古墳時代にかけての集落跡が発見されています。
さらに「法隆寺南二丁目」の「東福寺遺跡」においても、古墳時代後期(5~6世紀)を中心とした集落跡が発見されています。これらは当古墳との関連が想定されます。
伝承では、聖徳太子が愛用した「黒駒」を世話していた調子丸という者の墓であるとされており、墳名もそれによるものですが、築造時期とは200年ほどのズレ。後世の附会。
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