☆ 黄金塚陵墓参考地 (帯解黄金塚古墳)



大和国添上郡
奈良市田中町
(詳細住所不明、アクセスは西側から)



奈良市南部、天理市との境界近く「田中町」の丘陵上に築かれる墳墓。舎人親王の陵墓ではないかと、宮内庁は「陵墓参考地」としています。

舎人親王(676~735年)は天武天皇の第6皇子と生まれ、「日本書紀」を編纂奏上したことで知られます。

ところが2009年に発掘調査が行われ、7世紀中頃の古墳と判明、舎人親王とは時代が異なることが分かりました。

舎人親王が生まれた頃か、その少し前くらいに築かれた古墳のようです。

終末期古墳であるにも関わらず、
一辺が約30m、外堤を含む全長は東西120m南北65m、石室全長16mととてつもない規模。

飛鳥時代の有力者のものであろうとされます。

一体誰の古墳?
古墳素人の素朴な疑問です。

言及している資料は今のところ見当たりません。慎重にならざるを得ないのは理解できますが…。

古墳にも興味はありますが、
本来なら神社を拝したいところを時間を削って、古墳を拝しているのは被葬者を知り神社史研究の糧にしたいがため。

ここまで歴史が下ると著名人は数多存在するので、絞りようがないのかもしれないですが。


概要はこちらの案内をもって割愛します。

当古墳の西50mほどにこのようにして停め置きました。当古墳は向かって左手の林道。

50mほど歩いたところにあります。この道の先には当古墳と民家一軒のみ。短時間かつ民家の方に配慮するなら古墳前に停めても良さそうにも思います。

雑木林に覆われ全容把握は困難。宮内庁管轄でもあり進入もできませんが。相当な規模であることは把握できます。