☆ 黒田大塚古墳



大和国城下郡
奈良県磯城郡田原本町黒田
(南東に隣接して多目的駐車場有り)



■形状
前方後円墳
■全長
70m(周濠を含めて78m)
※現在は二段構成のうちの一段目が失われ、残存長は55m
■築造時期
6世紀後半
■埋葬施設
(不明)
■出土品
笠形・鳥形木製品、円筒埴輪、蓋形埴輪、滑石製双孔円板
■周辺の状況
三宅古墳群の最南端に位置する
大和盆地の真ん中辺り、低地帯が延々と広がる地
■被葬者
倭国造家の有力者か



ミニ古墳公園といった形で整備されている前方後円墳。

原型は留めているようには見えますが、かなり掘削済み。現在まで5回に渡る調査がなされており、墳型変化の変遷は下部写真参照。石室は未調査。

古墳素人であるが故か、気になるのは被葬者。
倭国造家の有力者ではないかと言われています。三宅古墳群が倭国造家によって築かれたと考えられています。

当地は田原本町の北西端。徒歩5分足らずで隣接するのは三宅町。

この三宅町は、大和朝廷が直轄支配をしていた「屯倉(みやけ)」に由来するものとされます。
その「屯倉」を管理していた倭国造家の墓とするのは自然な考え方かと思います。

紀の記述によると「屯倉」となったのは垂仁・景行天皇の御宇。それが史実であるとすると300年程度の開きがあるかと。

倭国造家については椎根津彦(槁根津日子)を祖とする氏族。
記紀ともに内容の相違はあれど、神武東征時の功により倭国造(大倭国造)に任じられたとあります。

おそらく氏神は大和神社であったと思われますが、十市郡から城下郡辺りまでを支配した氏族とされます。「屯倉」の管理に当たったことから勢力範囲が広がったのでしょうか。




こちらが南東側の多目的駐車場。詰めれば10台近く停められそうです。

こちらは北東側から。

南東側から。

南西側から。