愛宕神社 (伊賀市上野愛宕町)


伊賀国阿拜郡
三重県伊賀市上野愛宕町1830
(境内に駐車可)

■旧社格
村社

■祭神
[配祀] 市杵島姫命 櫛御気野神 猿田毘古命 広国押建金日命 


伊賀市街地、藤堂高虎により改修築造された「伊賀上野城」の城下町内に鎮座する社。城から南へ真っ直ぐに伸びる「中之立町通り」は、城と当社とを結ぶ路。
◎「愛宕神社由来記」によると、「伊賀の国原が生み成された神代のむかし、朝日嶽に坐す火産霊大神の磐境であり、市杵島姫命・櫛御気野神・広国押建金日命(第27代安閑天皇)の神々を齋き祀り、これらの神々を総して阿多古大神称し奉る、古代神祇の神籬である。神域は天正九年(1581年)兵火に焼かれて灰燼に帰したが、乱後修験行者小天狗清蔵坊の勧進によって再興をみるに至った。折柄、伊賀の領主藤堂和泉守高虎公が城郭普請を始めるにあたり、巽(東南)の方位に鎮守する地主神の神威を畏れかしこみて10余石の神領を寄進し (以下略)」(抜粋、一部補足)と。
◎伊賀市街地の中にぽっかりと浮かぶ低山「朝日嶽(愛宕山)」に、太古の時代に火産霊大神が降臨し、磐境として奉斎されていたということかと。市杵島姫命・櫛御気野神・広国押建金日命の神々は後に合祀されたと思われます。
◎小天狗清蔵坊については、皇學館大学の研究部会のデータが「伊賀国伊賀郡山出村にひとりの神童があらわれました。この童は奇行が多く容姿も怪異そのものでありました。そのため世間では『天狗の申し子』と噂しました」と。仏教系に多い大仰な附会かと思いますが、いわゆる忍者ということでしょうか。
◎この「朝日嶽」について、紀の雄略天皇十八年に物部菟代宿禰と物部目連を遣わし伊勢の朝日郎を征伐しようとする記述が見え、関連がある可能性を考えています。当時伊賀国はまだ伊勢国から独立しておらず、朝日郎は伊賀国の豪族であったと考えられています。朝日郎が被葬者説もある御墓山古墳は当地から北東4~5kmほど。
◎境内社として忍之社(忍者神社)が鎮座します。こちらは後ほど別記事にて。


こちらがかつての表参道であったと思われます。方角は東から西へ。奥に見えるのが「朝日嶽(愛宕山)」。

桜の名所としても知られるようです。

こちらは北から南への参道。伊賀上野城が築かれてから、こちらが表参道になったように思います。



江戸時代の終わりまで伊賀城主として続いた藤堂家。崇敬が厚かったようです。